グリーフケアの総合情報~グリーフケアとは?徹底解説

はじめに

こんな悩みありませんか?

魂が成長するグリーフケアセラピーを行っているグリーフケアカウンセラーのAyaです。

ここでは、グリーフケア(悲嘆援助)に関する統計的・一般的な情報を夫との死別を約1年半ほどで乗り越えた私の経験も交えながら統計的な情報をよりわかりやすくまとめています

以下のような疑問を持つ方へ特にお役に立てるはずです。

  • 死別を経験するとどんな精神的影響があるの?
  • 死別の苦しみはどうしたら早く癒えるの?
  • 死を目前にした家族がいるがこの苦しみはどうやって乗り越えるの?

この記事で取り扱う内容は大きく以下の通りです。

  • 死別などの喪失体験に関連する様々な一般的・統計的な情報
  • 一般社会で考えられている悲嘆を乗り越える方法
  • 死を目前にしている末期患者とその家族の悲嘆に関する一般的・統計的な情報

ただ、皆さんが必ずしもこの一般的・統計的な結果の情報に当てはまるとは限りません。ご自身がしっくりくること、心が穏やかになる情報だけを取り入れてみて下さい😊

グリーフケアとは?

グリーフの意味

グリーフケアという言葉を知らない人もわりと多いのではないでしょうか❓私も死別の経験をするまでは、グリーフケアについて良くは分かっていませんでした。

グリーフケアは英語でGrief careですが、Griefは悲嘆と言う意味です。グリーフケアと言うと死別による遺族の喪失の悲しみのケアという一般的なイメージがあるかもしれませんが、死別に限らずその他の喪失体験による悲嘆も含みます

喪失にはペット、健康、お金、仕事、恋人、友達など様々なものがあります。つまり、生きがいの喪失による悲嘆と言うとが一番分かりやすいと思います。

グリーフケア

このような様々な喪失による悲嘆の中にいる方の支援をグリーフケアと呼んでいます。このブログでは主に死別に関して取り上げていますが他の喪失体験や苦しい体験がある方も悲嘆という意味では同じですので参考にして下さい。

grief care

日本でのグリーフケアの必要性

日本ではカウンセリングが一般化していない

欧米では精神的に大きな打撃を受けて悲嘆に暮れるようなことがあった時はカウンセリングを受けることが一般的ですが、日本ではそれほど一般的とは言えません。

私自身も夫と死別した当初、大きな苦しみをなんとかしたくてカウンセリングをネットで検索してみたものの、行ってみようと思えるようなものが見つかりませんでした💦

死別は人生において最大のストレスの一つと言えます。(以下の記事にストレスランキングについて書いていますので参考にして下さい。)このような特に大きな精神的ストレスについて、私の経験上、精神的なサポートの全く無い状態で乗り越えることは非常に時間がかかることと思います。

核家族化の進む現代ではグリーフケアが求められている

一方、現代の日本は核家族化が進んでおり、親戚づきあいや近所づきあいも希薄であることが多く、大切な人の死などの人生を大きく揺るがすような出来事があっても相談できる人があまりいないという問題があります。このようなことからグリーフケアを求める声が増加しています。

死生観が確立されている人は少ない

そして日本人は無宗教であることが多いので心の拠り所が見つからないことも多く、また死生観が確立されている人も多くありません。人は死んだらどこへ行くのか、死後の世界はあるのか、自分も死んだらあの世で故人に会うことはできるのか、生きている意味とは何かなどのスピリチュアルな問への答えが見つからずに呆然とする人はいるはずです。まったく準備もしていないわけですからどうしたらいいかわからないという気持ちになるわけです。

私の場合

私自身は死別直後上記のように感じました。父や夫の死に直面するまでに死生観を確立していたわけではありません。ただスピリチュアルに元々興味がありましたので死後の世界にそれなりに興味はありましたが、あの世はあるだろうという漠然とした思いを持っていたに過ぎません。▶死後どうなるのか?覚者の見解はこちら→人は死んだらどうなる?死のからくり~エックハルト・トール

死後の世界を教えてくれる人も周囲におらず、また同世代で同じような死別体験をした友人がいるわけでもなかったので、自分自身で死別の苦しみを乗り越えるすべを探す日々がスタートしたのです。

グリーフケアでは具体的に何をするの?グリーフケアの方法とは?

グリーフケアとはこれ、という一つの決まったものがあるわけではなく、悲嘆を援助することをグリーフケアと呼んでいます。死別の悲しみを癒すものであればどんなものでもグリーフケアと呼べるでしょう。

具体的にはどんなものがあるのでしょうか。グリーフケアの内のいくつかを以下に挙げてみます。

専門のグリーフケアのカウンセラーに相談する

死別経験者によるカウンセリングが受けられる

私も含めてグリーフケアのカウンセラーは実際に死別の体験をしている方が多くいます。それぞれの乗り越えた経験専門知識によって有益なアドバイスを受けられます。

どのようなプロセスで立ち直って行くのかという見通し経験談を聞くことで自分の症状は一般的なものなのだなと安心したり、また乗り越える道のりが光のように見えて来るはずです✨

自分を客観的に捉えることで乗り越えるための気付きが起こる

また、自分自身を客観的に捉えるきっかけにすることができます。そしてカウンセリングによって今の状態から抜け出して行くという目的の下にカウンセラーとクライアントが向き合うことで生まれる気付きがあります。気付きこそが立ち直りにつながる意識の転換を促します。そこがただ友達に話を聞いてもらう事との大きな違いです。

私がカウンセリングをさせて頂いた方々も、新たな気付きにより明るい光が差したような表情をされる方ばかりです。気付きによって癒しが起こるからです。ここがただ人に話を聞いてもらう事との大きな違いです。

grief care

▶グリーフケア・カウンセリングを受けてみたい方、詳しく知りたい方はこちらもお読みください⇒ 【グリーフケア・カウンセリングを受けたい】何をするの?受ける必要あるの?効果はあるの?

私の場合

私自身も死別後に色々個人セッションなどを受けました。私は死別によって自分が抱えている苦しみはスピリチュアルな視点からアプローチして行く必要があると思っていたため、そのようなグリーフケアカウンセリングがないか探したのですが見つからなかったため、スピリチュアル系や悟りの視点を加えた個人セッションやヒーリングを色々と受けました。その中で苦しみの感情を手放せるという事を知り、手放しのワークを続けることで意識の変化が起こり、死別の苦しみが消えました。▶手放しのワークはこちら→【死別の苦しみを手放す!】簡単・手放しのワーク★効果絶大3ステップ

当カウンセリングでは、私が今まで学んで来た心理学、スピリチュアル、マインドフルネスなどのエッセンスを統合した最速で死別を乗り越えるための実践ワークを行って大きな効果を感じて頂いています。

本気でこの苦しみを早く乗り越えたいと考えていらっしゃる方はお試しカウンセリングを受けてみて下さいね☆

グリーフ・カウンセリング ご予約・空き状況はこちら

同じ死別経験者と経験を分かち合う

死別経験者同士が経験を分かち合う会などもあります。または身近に死別の経験をした人がいれば話を聞いてみることは有益です☕実際の経験者の話を聞くことで自分だけじゃないんだと思えるはずです。

もし身近に死別経験者がいなければ、死別経験者の本やブログやYou tubeなどを見てもいいと思います💻その際には明るい気持ちになれるものを選ぶことが大切です。かえって気持ちが暗くなってしまうのでは意味がありません。希望が持てるな、と思えるような発信はどんどん触れて行くと、その方向に自分も進むことができます。人間は見るもの、聞くものに潜在意識から影響されるからです。

私の場合

私は死別経験者の集まる会などには勇気が出ず参加をしたことはありませんでしたが、死別経験者のお友達の話を聞き、本当に励みになりました。この苦しみも終わりが来るのだという希望が持てたからです。また同じ経験をした人とは言葉を越えてすぐに分かりあえるということもまた事実です。

心から自分の痛みを分かってもらえたと感じることですっと張り詰めた思いが緩んで、そして感情が自然に放出されて手放されて行くという効果があります。様々な感情を抑え込むことは苦しみの原因となりますから、抑え込むことなく自然と放出させていくことは本当に大切なことです。

また、体験談のブログも色々と読みましたが、乗り越える方法が知りたかったため、体験談が書かれたブログを読んだのは死別直後2か月ほどだけでした。その後はやはり乗り越えて行くにはその方向を示してくれるようなスピリチュアルなアプローチが必要だと感じたためスピリチュアルや悟りの視点から心を癒すブログやYou tubeを見るようになりました。

体験談などを見たり聞いたりするときは、自分が心地良いと思える情報だけ取り入れて行くことが大切です。なかなか乗り越えられなかったというような苦しい体験談もあるはずです。必ずしもみんなが同じ道をたどるわけではないので、人それぞれだという視点を忘れないで下さい。

grief care

創作活動や芸術を通して心を癒す~今この瞬間に意識を置くことがあなたを癒す

絵を描く、塗り絵をする、書道、手芸、工作、音楽を演奏するなど手を動かす芸術的な活動は死別者の心を癒します。

苦しみというのは思考から生まれます。思考というのは過去や未来だったり妄想の世界に入り込んでいる状態です。死別による苦しい過去や未来への不安へ意識が行きがちになる時は、手を使った芸術活動があなたの意識を今この瞬間に戻し、思考を止めることができます。興味のある創作活動なら無心になることができます。無心になるという事は思考の無い今この瞬間に意識があるという事です。

また、創作活動は感情解放になります。感情のエネルギーが創作活動によって発散されて行きます。そしてあなたの心が癒されて行きます。

grief care

私の場合

私は自分の心を癒そうと意識していたわけではないのですが、何かに熱中したいという思いから、色々なことをやりました。創作というほどの大げさなものではありませんが裁縫、折り紙、絵、塗り絵などです。今思うと、そのような創作の取り組みも私の心を早く癒して行く助けになっていたのだと後で思いました。(詳しくはこちら⇒【死別を乗り越えた時の私の過ごし方】小さな事を積み重ねるだけ☆

何でもやり始めると凝るのですがすぐ飽きるタイプ💦ですが没頭すると気持ちが良いんです😊だからとにかくやってみたい、と思うことはなんでもやりました。目的を持たずに、ただ熱中することが気持ち良かったからです。

この目的を持たないというところがとっても大切なのだと後で気付きました。

目的を持って手段として活動を行う時は今この瞬間に意識がありません。だけど活動そのものを楽しむという姿勢は今この瞬間に意識を戻してくれます

話を人に聞いてもらう

これはグリーフケアカウンセラーや死別体験者に限らず、家族や友達など近しい人に話を聞いてもらうという事です。

死別の話を聞いてもらえそうな人がいるなら自分が今感じている気持ちを話したりまた故人の思い出話をすることでも癒しを感じるはずです。

感情は抑圧せずに解放してあげればどんどん楽になることができます。

grief care

私の場合

私の場合は夫の思い出話を友達にできることが有難いことだな、と思いました。誰かに話すことで心がほんわか温かくなって自分の中にある愛や感謝を再認識できるわけです。

でも別に人に話さなくても自分の中だけで思い出して愛や感謝をじっくりと体感することも癒しになりますよ💝

悲嘆のプロセス~死別から立ち直るまでの心の過程

死別のような悲嘆の体験をした時、人はどのような精神状態をたどると言われているのでしょうか❓

みんな必ずしも同じプロセスをたどるわけではありませんが、まずは一つの例として挙げたいと思います。

悲嘆のプロセス12段階

悲嘆のプロセスについては研究者によりさまざまな説がありますが、ここではそのうちの一つアルフォンス・デーケンの悲嘆のプロセス12段階をご紹介したいと思います。(アルフォンス・デーケン著「よく生き よく笑い よき死と出会う」より)

①精神的打撃と麻痺状態
一時的に頭が真っ白になった状態。②否認
死の事実を認めようとしない状態。

③パニック
身近な人の死の恐怖による極度のパニック状態。

④怒りと不当感
なぜ自分がこんな目に遭わなければいけないのかと感じる状態。

⑤敵意とうらみ
周囲の人や故人に対してやり場のない感情をぶつける。

⑥罪悪感
生きている時にもっとこうしてあげればよかったなどと悔やみ自分を責める。

⑦空想形成、幻想
空想の中で故人がまだ生きていると思い込んでそのように振る舞う。

⑧孤独感と抑鬱
葬儀なとひと段落し、紛らわしようのないさみしさに襲われる。

⑨精神的混乱とアパシー(無関心)
生活の目標を失いあらゆることに無関心になる。

⑩あきらめー受容
辛い現実に勇気を持って直面しようとする。

⑪新しい希望ーユーモアと笑いの再発見
希望の光が差し込んでユーモアも出るようになる。

⑫立ち直りの段階ー新しいアイデンティティの誕生
死別以前の自分に戻るのではなく悲嘆のプロセスを経て新たなアイデンティィを獲得してより成熟した人格者として生まれ変わる。

これらの段階は、この順番通りではなかったり、また段階を飛び越えて経験する人もいると思います。

私の場合

私の場合②と⑦以外は全て経験したと言えるのではないかなと思います。⑫については強く同意します。まさに新しい自分に生まれ変わりました。これこそが死別の経験が私にくれたギフトです。

立ち直りまで気持ちが浮き沈みするのは当たり前

私の場合

私の場合、この悲嘆のプロセスの順番通りではなく、また重複して経験したりまた行ったり来たりするというようなこともありました。実際にそのような学説もあります。

3歩進んで2歩下がるというようなことを繰り返しながら新しい自分へと生まれ変わって行きます。

浮き沈みをする自分にがっかりしたり責めない

勇気を出して前向きに生きてみようと一歩踏み出してみたけど急にひどく落ち込んだりすることがあったとしても、「やっぱり立ち直れない」などと自分を責めないで下さい。

沢山の重たい感情を手放して行くと、心の奥底にまだ蓋をされていた感情が表に上がって来るんです。そのような心の奥底にある感情に対処できるようになったからこそ上がって来たとも言えます。重たい感情は表層に上がって来るからこそ手放せますだからがっかりするのではなく手放せるチャンスととらえて下さい。そしてその感情を持っていることに気付き認めて下さい。感情への抵抗や蓋をすることが苦しみとなります。まだそんな感情を持っていたんだね、と自分を温かく見守って下さい。これが癒しとなり手放しへと繋がります

悲しみや寂しさの辛さを経験することも手放すための大切な一つのプロセスなんだと受け止めてみて下さい。そうすれば同じ状態に留まることはありません。必ず手放されて行きます。

▶手放しの方法はこちらを参考にしてみて下さい。

日本人の死別反応(悲嘆反応)~精神的身体的症状

死別後にどのような精神的身体的症状が出るかということについて「はじめて学ぶグリーフケア」(宮林幸江・関本昭治著)を参考にまとめました。

ちらつき現象と探索行動
故人の存在感や気配を感じて話しかけたりする。
故人のゆかりの地を訪問して思い出巡りをする。

フラッシュバック
死別時の恐ろしい光景が心に焼き付き望まなくとも鮮明な記憶として遺族を襲う。

疎外感
死別により周囲の態度が変わったように感じたり好奇の目で見られていると感じる。自分だけが死別により変わってしまったと感じる等。

うつ的不調
無関心、無気力、笑顔の喪失、外出がおっくうになる、感情のコントロールが不安定、睡眠不足。

現実へ適応対処しようと努力
故人の分まで頑張らなければ、とにかく生きて行かなければと思う。また生きている自分に安堵する。

現実への適応対処を阻むストレス
故人不在によるストレス。周囲の無神経な態度に怒り、周囲の人へのストレス、理解されない、遺産相続のもめごと、お前のせいで死んだなどと言われる等。死別後の社会生活に柔軟に対応できないことがある。

怒り
犯罪、公害、医療過誤等の被害者の場合は加害者や過誤の責任者に激しい怒りを示すことが頻繁に見られる。また、悪性腫瘍を見落とした医師に対する激しい怒りや、認識の違いによる医師への怒りを示すこともあります。医療に対する過大な期待が一因となることも。一方で、犯罪被害者の遺族が罪を憎み人は許す境地に至ることもある。

罪悪感
自分だけが生き残ったこと、故人の死にたいして自分に責任があると感じる自責。

食欲不振
食事が美味しくない。

睡眠障害
夜に考える時間が増える。眠りに入りづらかったり、途中で目が覚めてしまったり、早く目が覚めてしまうなど。熟睡できない。

▶眠れない時の対処法についてはこちら→眠れない時&苦しすぎる時の効果的な対処法

行動反応
現実を打開しようと努力していることが多い。悲しみに暮れる時間が無いほど働いて頑張りすぎてしまう。予定を沢山入れる。特定の人、酒、薬物などに依存しがちになる。

私の場合

上記に挙げた死別反応は私自身も多数経験しています。これは大切な人を失った人なら誰もが経験するような反応です。

このように客観的に自分自身の状態に気付くことでハっとしたり、自分だけじゃないだと気持ちが緩んだり、異常なことではなかったのだと感じてほっとしたりするものです。

みんな多かれ少なかれこのような道を乗り越えてきているということですね。ただ、お酒や薬物依存に関しては専門家の助けが必要になることもありますので十分注意したいところです。

死別のストレス

私にとって死別によるストレスは相当なものでした。そこで、人生の様々な出来事におけるストレスと比較すると死別のというのはどれくらいのインパクトがあるのか見てみたいと思います。

ストレスランキングTOP10

1967年にアメリカの精神科医が人生の出来事におけるストレスの度合いを調査した「The Holmes And Rahe Stress Scale」から引用しています。

1位 配偶者の死

2位 離婚

3位 夫婦の別居

4位 刑務所への収容

5位 親族の死

6位 自分の怪我や病気

7位 結婚

8位 失業

9位 夫婦の和解調停

10位 退職

これよりもさらにランキングは続くのですが、上位5位以内に配偶者や親族の死別体験がランクインしています。時代や国も違うので日本ではこのランキング通りとは言えないかもしれませんが、いずれにせよ死別の経験というのは人生の中で最も大きなストレスと言えると思います。

人生最大のストレスである死別というのは、死別の悲しみという精神的なストレスだけではありません。様々な要因が重なった複合的なものになります。大切な人がいなくなることで、収入が無くなる人、引っ越さなければいけなくなる人、家族内での役割が変わる人、様々な物理的な生活の変化を伴うことが大半です。

とはいえ、私自身の経験からもこのような人生最大のストレスがあったとしてもちゃんと乗り越えて行くことが可能です。失望しないで下さいね。

死別から立ち直るのにどれくらいかかるのか?

死別から立ち直るにはいったいどのくらいの期間がかかるのか、というのは私も死別した当初まず最初に思いました。ネットでいろんな人の体験談を読むなどして大体3年で少し楽になるのかな?などと考えていたのを覚えています。

死別の悲嘆から立ち直るまでの統計的な期間

「はじめて学ぶグリーフケア」(宮林幸江・関本昭治著)によると、悲嘆が終結するまでには約4年半という統計結果があるそうです。ここでの悲嘆の終結は、完全に終わるというのではなく一区切りつくという意味になります。

また65歳以上の高齢者の悲嘆の終結は約6年という特徴があるそうです。また、死別した対象者別だと親の死の場合は配偶者の死や子供の死よりも早く悲嘆が終結するなどの違いがあります。

上記の情報はあくまで統計結果になりますので、統計を取るときの条件が違えばまた違う結果も考えられますし、また個人の状況によっても大きな違いがありますのであくまで一つの参考として下さい。

では、この統計による期間よりも早く立ち直って行くにはどうしたら良いのかというと、今の意識を変えて行くという事が必要です。詳しくはこちら

私の場合

私の経験では、1年半で「乗り越えた」と言えるという状態になりました。この統計値と比べるとずいぶん早いです。また、環境についても再婚したわけでもなく死別当初と特に外的に良い状況になったというような変化もありません。

私は内面の視点の大きな変化を経て乗り越えることが出来ました。この視点の変化という事がとても大切です。

私のグリーフカウンセリングではこの視点の変化を促すことを最大の目標としています。実際カウンセリングの最中に視点の変化を体験されたり、気付きの体験をする方が多くいらっしゃいます。すると急に心が軽やかになったり楽になったりします。

一般的に悲嘆は長引くものだ、と決めつけたりがっかりせず、視点の変化によって急速に心が安定して行くという事実があることをぜひ知って下さい。

頑張りすぎずに人の助けを借りることも大切

死別の体験をすると、自分の殻に閉じこもってしまったり、また同時に頑張りすぎてしまってかえって体調を崩してしまうこともあります。人の助けを借りることも大切です。

無理をせずに生活の中で困ったことがあった時は周囲の助けを借りるようにして下さい。また自分を甘やかしてあげることも時には必要です。頑張りすぎていないか、という事を常に振り返るようにしてみて下さい。

死別直後には大きな決断をしない方が良い

死別直後は通常の精神状態ではない場合が多いため、大きな決断などはなるべくしない方が良いです。

死別をするととにかく現状を変えたいという気持ちでいっぱいになります。何とかして環境を変えたいと思うわけです。私の場合は娘もいるので頑張らねば、という思いが湧きました。

しかし、まだまだ悲嘆の中にいて冷静さを欠く状態の中で大きな決断をすると後で後悔したり、また頑張りすぎて反動が来るという事になりかねません。

私の場合

たとえば私の場合は当時娘も小さく仕事をしていなかったのですが、死別後3か月ですぐにフルタイムの仕事を始めました。仕事も残業もそれなりにあり、通勤時間もとても長く自由時間がほとんどありませんでした。今思うともっとゆったりと働ける環境を探す、またはもう少し休息をとっても良かったと感じます。

また、難しい資格を取得して人生を立て直したらいいのではないか、などと言う無謀なことも頭に浮かんだり、冷静さを欠いていたと思います。

あと、持っていたDVDを全て処分してしまいました。と言うのも、映画やドラマなどもう二度と見たいと思うことは無いだろうと100%その時は確信していたからです。でも実際は乗り越えた今全部処分してしまったことを後悔しています💦💦

まずは現実的に可能かどうか、という事をしっかり考えながら焦らずにゆっくり人生を歩むことが大切だと痛感しました。可能な限りストレスの少ない心地良い環境を作る事に気を配ることが大切です。私は自然とそのような考え方に変わりました。

死に直面した患者の心理的プロセス

遺族の悲嘆のプロセスについては既に書きました。今度は死に直面した患者の心理的プロセスについても触れたいと思います。このプロセスは死に直面した患者の家族にも当てはまります

死の受容5段階プロセス

ここでご紹介する5段階プロセスは、アメリカの精神科医であるエリザベス・キューブラー・ロスの書いた「死の瞬間 死とその過程について」の中で述べられているものです。

この本は、末期患者に実際にインタビューを重ねることで死に直面した末期患者がどのように死に向き合っているのかという事がインタビューの実際のやり取りの内容とともにまとめられた本です。

5段階プロセスは以下の通りです。

第一段階 否認と孤立
死が差し迫っているような状態であることが信じられず病気を否認したり、現実を受け入れられないことから時に孤立してしまう状態。

第二段階 怒り
「どうして私なのか」という怒り、激情、生きている者への妬み、憤慨という感情が湧く状態。

第三段階 取り引き
死という避けられない結果を何とか先延ばしにするために交渉しようとする段階。「せめて息子の結婚式までは生き延びたい。それが出来たら何でもする。」などの取引きをする。

第四段階 抑鬱
病気による様々な症状により抑鬱状態になったり、また欠勤が多くなり職を失うなどにより抑うつ状態を招くこともある。

第五段階 受容
死の運命を受け入れている状態。いくばくかの平安と受容を見出す。

上記のようにおおまかにまとめましたが、この本にも書いてあるのですが全ての患者がこの段階通りに進むとは限りません。また、生きる希望というものは最初から最後まで誰もが持ち続けるものだ、ということも記されています。

死に直面した夫の場合

この5段階のプロセスを読んだ時に、私自身も夫の闘病の中で同じような心の状態を経て行きました。

私の場合は第一段階の否認がなんと死の直前まで続きました。心から夫は助かると最後まで信じていたのです。でも最後には自分でも驚くほどとても自然な気持ちで受け入れるということが起きました。そして別れの挨拶を交わすことが出来ました。

また、夫については否認であったり、怒り、取引、という段階があったかどうかは分かりません。しかしうつ的とまで言えるかはわかりませんが落ち込んだ状態の時期はありました。若い年齢で大病をして死に瀕していたら落ち込まない人はいないですよね。

また、もうかなり早い段階から死ぬかもしれないという覚悟もあったように思います。もちろん同時に生きる希望もあり、そのはざまで揺れ動いていたと感じます。そして無くなる直前には思い残すことがないというとても穏やかな心の状態に思えました。亡くなったその日、完全に受け入れたのだ、と感じました。

死に直面している方への接し方

「死の瞬間 死とその過程について」の本では、死に直面している患者を教師として、医師たちが勉強をさせてもらうという姿勢を持っていることが強調されています。

そして死に直面した患者さんを前にして患者さんが死についてや、家族の心配事などのひっかかっている事心の内を自分から話せるような環境を作ってあげることの重要性が述べられています。感情を抑圧せずに解放してあげることで楽になるからです。

また、筆者は、患者さんが自分の殻に閉じこもってしまったり現実を直視できなくて頑なになっていたとしても否定せずにその全てをあるがまま受け入れるという態度で臨んでいます。

私自身、これはとても大切なことだと感じます。病気に限らず、どんな時も誰かの気持ちをコントロールすることはできません。あるがままを受け入れ、見守り、また必要な時に助言をするというのが大事な人間関係の在り方だと思います。

人生のどんな困難であっても本当に乗り越えていく、受け入れて行くことができるのは本人だけです。誰かが代わりにすることはできません。だけどその人が乗り越えたり受け入れたりしやすい環境を作ってあげることは可能です。そして周りの人間の在り方がその人を変える力を持っています

患者さんを支える家族というのは、患者さんをどうにかしてあげなければと気を揉むよりも、まずは自身の在り方が一番大切です。

予期悲嘆~死に直面している患者家族の悲嘆

予期悲嘆とは、患者さんの家族が患者さんの死を予期して抱く悲嘆のことを言います。これは正常な症状です。

私の場合

私自身ももちろん予期悲嘆を経験しました。

いよいよ夫の死というものが現実的に迫って来るように感じて来た時に、もし亡くなったらと思うと恐ろしくて居ても立ってもいられない思いだったのを覚えています。今思うとあの時が一番辛かったように思います。

その時は全く死を受け入れるように心の状態が整ってはいなかったため完全に心が現実に抵抗をしていたためです。現実に完全に抵抗することは大きな苦しみを生みます。

夫が闘病中は、悟りに関する本は読んではいたものの全く腑に落ちておらず、人間の本質は何なのか、肉体が無くなったら無となり消えてしまうのか、命とはなんなのかというスピリチュアルな疑問に対して自分の中で明確な答えもなく、ただただ死が恐ろしいものであるという認識しかありませんでした。死は間違いで悲しいことだと思い込んでいました

死を受け入れると生の素晴らしさが見えて来る

死は間違いで悲しいこと、と言うのは人間の主観です。

死が無ければ生きるという体験そのものが出来なくなります。生きる事の意味を教えてくれるのが死です。死を否定するなら生も否定することになります。

故人の死を否定し続ける限り、故人の人生が可哀そうなものだったという観念の罠に陥ることになります。

大切な人がこの世を去ることは深い悲しみをもたらしますが、その人の死をも受け入れた時に初めて、その人の生きた人生が人間的な視点で幸せだったとか成功したとかそんなことは関係なくただ尊いものだったのだという気付きが訪れます。

もし死がなかったのなら、誰かに今すぐ愛してると伝える必要も、感謝を伝える必要もなくなるかもしれません。永遠に死なないのだから、今伝えなくても伝え損ねる事などありません。

だけど限られた時間の中で生きる時、いつ何をするのか、何を伝えるのか、というところに重要性が出てきます。そしてそこに素晴らしさや感動が生まれるものです。

そしてまた、今、自分の本心に正直になって生きるということがどれほどの意味があるのか、ということを教えてくれるのも死なのです。