最期の時~肉体の死が終わりではない

霊的な体験!?

夫が亡くなる時、最後に沢山「ありがとう」「愛してる」の言葉をかけられたので思い残すことの無い最期でした。

義父母や私の母や娘が同じ部屋にいて最期の時を過ごしたのですが、ふといつの間にか皆がいなくなり、私と夫だけになりました。しばらくすると呼吸が止まりました。それが多分魂が抜ける最期の瞬間だったのではないかと思いました。その後義父母を呼びに行ってる間にまた少し呼吸がぶり返してから皆に囲まれている間に完全に止まりました。

魂が抜ける時に2人きりになりたかったのかな、と思いました。だから私にとっては最期の瞬間は温かい思い出という感じがします。

そして亡くなった当日や、その数日後も「スースー」という大きな呼吸の音がどこからともなく聞こえてきて、テレビを止めて耳を澄まそうとするとピタっと止まります。

そんなことがあってやっぱり魂になって近くを漂ってるのだなと思いました。

そうした霊的な体験は生まれて初めてでしたが、やっぱり魂は永遠なんだなと改めて感じた出来事です。

人は死んだらどうなるの?

人は死んだら「私」という存在はどこに行くのかってほとんどの人が一度は考えたことがあると思うのですが、実際問題どのくらいの人がどのように認識しているのかな?と思います。

私は小学生くらいの頃は死んだら無になるという話も聞いたことがあったので死んだら無になるのかなと思ってたこともあります。でも成長するにつれ、幽霊がいるくらいだからあの世があるだろうし、前世を覚えている人がいるんだから生まれ変わりがあるんだろうな、死んでも無にはならないだろうなと思うようになりました。

そして悟りや目覚めについての本を読んだりするようになったのが30代からだったと思いますが、そこから死んでも終わりじゃないと確信するようになりました。

今はそもそも私という感覚は幻想で、「私」というドラマを生まれてからずっと見続けている「意識そのもの」が本当の私なんだと確信しているのでこの肉体の私が死んでも魂は永遠に続くと分かりました。

人生のシナリオは全て自分で作ってきている

この私というドラマのシナリオを作ったのは私自身です。

覚えていなくてもそれ以外にはありえなくて、みんなそれぞれ自分自身の人生のシナリオを選んで設定して生まれてきています。

寿命も自分で決めているそうです。たとえ事故であっても自殺であっても他殺であっても、全ては決めて来ていて予定外のただの偶然というものはこの世には一切ないと私は思っています。

3次元や3次元に近い意識状態だと、思いがけず死んでしまったのだとその魂が思っているかもしれませんが、更に高い次元にも私たちの意識が存在しているのですが、高い次元に行くほどに全て計画していた通りだと認識しているはずです。だからどの視点から見るかで違いが出てくると思います。

起こったことを見る視点が上がると、苦しい体験そのものを体験したくて体験していたんだということが腑に落ちて来ます

私は悟りや目覚めを探究する中で統合ワークを知り、実践して行くにつれて、全ては自分で計画した通りに起こっているだけだと分かって来ました。だから死別に対してもちろん嫌だなという感覚が湧いたりもしますが、でも今は「私がそれを選んだから仕方ない。この体験をするしかなかったんだ」という風に感じます。

もし別の選択肢があったと信じているのなら、死別についてあの時ああしていればな、こうだったらな、などと心底悔んだり、会いたくて仕方ないと言う苦しさが生まれてくるはずです。それ以外の選択肢があったかもしれないと思うからです。

でもそれ以外の選択肢が絶対になかったんだとどこかで腑に落ちてしまうと、そういう発想もなくなってきます。悔やむということが無くなります。全て自分が決めたことで、それ以外に起こりようがなかったからです。会いたいとも思うのですが、会いたくて苦しい、恋しくて苦しい、そういう感じでは全くないです。

遠距離恋愛している時の会いたいと大して変わらないんです。いや、遠距離恋愛の「会いたい」よりも軽い感じかもしれません・・・。

高い視点に立ち、人生で起こること全てどんなことに対しても全て自分で起こしているんだ、実は自作自演だったんだと分かると、死別の苦しみすら抜けることができます。