【死別の苦しみは自分で創り出していた?】現実を創造する2つの法則!

現実という外の世界に翻弄される古い生き方を卒業する

全ての現実は自分が創り出しています。ではどのように創り出されているのでしょうか?その具体的な法則について書きたいと思います。

このトピックは超重要事項です!これを理解せずして死別の苦しみを一気に手放すことは難しいからです。

この話は死別やグリーフケアというトピックと直接的に関係が無いように思える方もいるかもしれませんが、そんなことはなく、この現実世界の仕組みがどのようになっているのか理解することで、現実世界の攻略法を知り苦しい現実に翻弄される生き方から卒業できます。

外の世界に振り回されるのではなく自分が主導権を握る

私の経験上、この現実が作られる法則は大きく2つあると思っています。この2つをしっかりととらえて理解するとそのうち体験を通して腑に落ちるはずです。体験を通してのみ本当の理解が起こり、この真実は本当にあなたのものになります。

体験を通してこの法則が腑に落ちた時、現実世界に一喜一憂して外の世界に幸せを求め続けるという今までの在り方に戻ることはもう無いはずです。

あなたの体験する現実を創造する2つの法則

法則① 意味付けによる現実創造

現実は自分が意味付けしているので、現実をどうとらえるかによって現実の体験のし方が人によって、またその人の意識状態によって変わる。

つまり、物理的に同じ現実が展開されてもその人(または同じ人であったとしてもその時の意識状態)によって現実が違って見えるということ。現実というストーリーをそれぞれが自分で意味付けして創り出しているということ。

本来この世界の全ての物事の真実というのはあるがままで良い悪い正しい間違いも何もありません。そこに人間の観念によって意味付けをすること、つまりラベリングすることで人生というストーリーを私たちは経験しているに過ぎないのです。太陽を太陽と名付けたのは人間です。本来太陽には名前などありません。これは良いこと、悪いこと、正しいこと、間違っていること、それも人間の観念が作り出したことであり真実ではありません

死は悲しい事だ、全ての終わりだ、若くして死ぬことは間違っているという思いもまた単なる人間の創り出した観念であり真実ではないという事なんです。

木や鳥や人間などに人間の観念による意味付けしたラベルが貼られている

法則①の具体例

例えばあなたがコンプレックスに思っていることについて、人からそこは直した方が良いと指摘を受けたりするとものすごく傷ついたり、あぁやっぱり自分はだめなんだと過剰に反応するはずです。しかし、逆に同じ事柄であってもそれについてそれについて揺るぎない自信を持っている人であれば、ある人から直した方が良いと指摘を受けたとしても、あぁ、そう考える人もいるんだな、でも自分は自信を持っているから大丈夫くらいに受け止められると思います。

同じ事柄だったとしてもその人自身がその事柄に対してどのような感情をもともと抱いているかによって体験のし方が変わるんです。

吠えている犬を見て違う感じ方をしてい2人

コンプレックスを手放す

コンプレックスをウィルスと捉えると分かりやすいかもしれません。ウィルスを持っていると、特定の環境の下の刺激によって発病するというのと似ています。ウィルスを持っていなければ何も起こりません。そのようなイメージです。

この体験のし方はそのコンプレックスを抱いている限り続きますが、自分の内側のとらえ方でそのような体験をしているのだな、と気付き受け入れて手放すことができればもうそのような捉え方をしなくなります。

▶コンプレックスを手放して行くと本当の自分の能力が開花します。詳しくはこちら→【死別をきっかけに最高の自分を開花させる】ハイヤーセルフになる

法則② 物理的な現実創造

分の持っている感情が次に体験する現実を物理的に創り出したり変化させる力がある。

ここで言う感情というのは、過去世であったり、幼少期に経験したトラウマなど無意識レベルにある感情も含まれます。仏陀の説いているカルマのことです。▶カルマについて詳しくはこちら→カルマの与える影響

これは体験的に腑に落ちたり、ただそうであると気付くことによって知ることになります。過去世を思い出したりもともと記憶のある人もいます。

法則②の具体例

②の法則の具体例としては、何か強く罪悪感を感じるような経験を過去にしていた場合(過去世も含む)、その感情を既に持っているため、同じ罪悪感を感じる現実を再び創り出して既に持っている強い罪悪感を体験するようにできているということです。

感情はエネルギーであり、そのエネルギーは物理的な現実を創り出すという事です。

人間は自分の既に持っている感情と同じ感情を体験する現実を具現化させている

感情を手放すともう具現化されることが無くなる

しかし、再び同じ罪悪感を経験した時にその感情を完全に受け入れて手放すことが出来たら消えるので、もう同じ罪悪感を体験する現実を創り出すことは無くなる、というようなからくりです。

手放せなければ何度も似たような体験を繰り返したりします。よく人間関係であったり恋愛などで同じパターンを繰り返すなんていう経験のある人も多いのではないかと思います。そのパターンの中で感じるネガティブな感情を手放せるまでこのように同じパターンを何度も現実に創り出してしまうのです。手放すことを気付かせるためにその現実が現れているという捉え方もできます。

自分が現実を創り出しているという理解が大切

このため、自分がいつも陥りやすい同じようなパターンがあると気付いたら、自分や人を責めるのではなく単純に自分が持っている感情が作り出しているだけだったのだ、単純なシステムなのだと気付いて受け入れて手放すことができればそのパターンから卒業できます。

ここで自分や他人を責めたりすると、今度はそれ自体を更に具現化させることになってしまいます。つまり、また自分や他人を責めたくなるような現実を創り出すという事です。

自分のネガティブな感情が嫌な現実を創り出す原因

ここで最も大切なのは自分も含めて誰のことも責める必要が無いということです。自分や人を責めたくなるような現実すらも、その現実から感じる感情を手放すために自分があらかじめ描いて来たシナリオです。カルマを手放すためということです。▶この仕組みについて詳しくはこちら→カルマの与える影響

この仕組みを理解していくことで現実に深刻に一喜一憂して苦しむという現実ドラマに入り込む在り方から卒業できます。

①と②の法則がどのように作用しているのか?

①と②の両方の働きによってあなたの経験する現実が決まって行きます。起こった現実を注意深く見て行くと良く分かると思います。

これは単純なシステムのようなものなので、良い悪い正しい間違いの判断を神という一つの存在が下していて、神の采配によってあなたの体験する現実が決まるというようなものではありません。

リンゴを空中で手放したら下に落ちる、というような単純な法則に過ぎません。そしてこの法則から逃れることはありません。全ての人がそれぞれ全く同じ法則の元で現実を体験しています。

現実の創られるからくりを理解して死別の苦しみを乗り越える

これまでのお話で、現実が単純なシステムによって作られてそして体験していることが分かったと思います。

そして、自分の内側が常に外側の現実を創り出しているということが腑に落ちたならば、現実に翻弄されることが無くなって行きます。外側の現実ではなく自分の内側を整えて行けば良いと分かるからです。

するとだんだんあなたの心地良い人と出会うようになったり、心地良い環境が整ってきたりして物理的に現実が変化して行ったりします。

自分の内側に、現実に対する抵抗が無くなるので、その感情がそのような現実を創り出すようになります。または、同じ現実だったとしても全く違う感情を体験することになります。①意味付けによる現実創造と②物理的な現実創造の法則が働いているからです。

死別の苦しみすらあなたの思考が意味付けして創り出したストーリー

大切な人を亡くす経験をすると必ずと言っていいほど後悔や罪悪感、可哀そうという感情が湧いてくると思います。だけどそれらの感情すらも自分が既に持っていたから体験しているだけなのです。

本当は、死別であったとしてもそれが悲しいことだという意味付けをする観念が自分の中にあるというだけで、死別自体は本来は何の意味付けもない事なのです。

現実の出来事は究極的には何の意味付けもないただあるがままなのです。どれほど理論的に筋が通っているように思えたとしても、ただそのようなストーリーをあなたの思考が勝手に意味付けして体験しているだけに過ぎないのです。→①意味付けによる現実創造の法則ですね。

これが実際の体験を通して完全に腑に落ちると、死別にまつわる様々な苦しみから短期間で自由になることができます。

死別をきっかけに現実創造の法則を見破り魂の成長を飛躍させる

苦しみを通して初めて気付く真実

私が伝えたいことは死別をただ乗り越えて死別以前の自分に戻るということではありません。死別を乗り越えて更に魂的に飛躍し、最高の人生を展開させて行くことができるということです。

死別を機にこの現実のからくりを見破ってほしいと思います。死別のような大きな出来事でもなければここにしっかりと向き合う事がなかなか出来ないのが人間です。限界だと思うほどの苦しみを通してやっとこの現実世界のからくりが腑に落ちるものです。ただ穏やかで楽しい毎日しかないのであれば、現実世界の法則がどうなっているのか、真の幸せとは何なのかなどと考える事すらないからです。

体験を通して真実が腑に落ちる

そして真実というのは自分が体験しなければ決して本当には腑に落とすことができません。頭の理解だけでは自分のモノにはなりません。それはただの思考であり実態が無いものです。

あなたが生活の中で実際に自分自身の内面に向き合い、実験をしてみることで、または人生の全てを振り返り、点と点を線でつなぐことを通して初めて腑に落とすことができます。

体験によって腑に落ちる