「私」には自由意志があるの?

非二元(ノンデュアリティ)を唱えている方たちの本を読むと、全てはただ起こっているだけで、実は私たちは自分の意思で何もやっていなかったということが書いてあったりします。(詳しくはこちら→「この世界のからくり」)

どの視点からこの世界を見るかで全く違う捉え方になると思いますが、非二元で語られている私たちの本質である源の意識そのものからみると、全ては意識なので、実は何も存在していないということになります。

そこで、実際に私の視点からみた体験をお話します。

カリフォルニア大学のベンジャミン・リベット教授は、人間は指などを「動かそう」と意識した瞬間よりも前に指を動かす指令が既に脳から出ているという実験結果を発表しています。

これを実際に自分自身に当てはめて考えてみると、確かに何かをしようと思考したときにはすでに体は動いています。一つ一つを私の自由意志でやっていると錯覚しているだけで、実は動作に対して思考を後付けしています。

私達は既に起こっていることに対して思考でストーリーを後付けで立ち上げています。水を飲むということをした時、「のどが渇いたから水が飲みたい」という思考をその動作にくっつけているという感じです。

この世界は、ただ個人の意思とは関係なく起こり続けている動作をまるで私達が意識的に選択して体験しているかのような経験ができるバーチャルリアリティという感じがします。

だから実際は全てはただ起こっている、本当にそういうことなんだ、と思ったのです。

もう一つ思考が偽物なんだと感じた体験があります。

統合ワークで手放すということをやっている時に、イライラが湧いて、その自分の状態をよく観察していたんです。

そしたら、まずイライラという感情の感覚を一番最初に体で捉えました。もやもやする感じです。

すると直後にものすごいスピードでぶわーっと思考が立ち上がってきてそのイライラを説明するストーリーを立ち上げていたんです。一瞬の出来事でしたが、思考が後付けだと確信した瞬間でした。

頭でいろいろイライラの理由を付けていますが、もうすでにイライラはその前にあったんです。全ては既に起こっています。

だから当然起こっていることに善悪を語ったりジャッジすることは全部実は思考が作り上げた架空のストーリーです。だって誰の意思もなくただ起こっていることに善悪もなければジャッジする余地もありません。誰にもどうにもならないわけですから。

私達には究極的には自由意志はありません。私の中では自由意志がまるであるかのように感じられる設定のゲームで遊んでいるようなイメージがあります。だから起こってくる出来事に抵抗したりコントロールしようとすると感情が苦しいだけです。

ただ、起こってくる感情は手放すことができます。そして嫌なものはどんどん手放して行けばその感情は起こらなくなってきます。

統合で大事なのは、この思考がぶわーっと立ち上がる前に瞬時に手放すことです。でもついつい思考しちゃいますが^^;