何によっても自分が幸せだとごまかせなくなる時が目覚める時

死別によって真実と向き合わざるを得なくなった

私は死別をきっかけに元々興味のあった精神世界の探求に本気になって行きましたが、それまでは欲の塊みたいな生き方だったと思います😅

いつも外の世界に何かを求めている状態です。そしてお金があれば欲しいと思った物は買ってしまうタイプで、お金があれば次はあれが欲しいこれが欲しいと思っていましたが、結局買っても買っても満たされないんですよね永遠に。

そして死別を経験してからは、物を買っても何も満たされないという思いが顕著になりました。

死別は本当に今までの自分の世界への破壊力はハンパ無く、外側の何によっても自分を満たすことが出来ないということをはっきりと思い知らされることとなりました。

今までもしかして・・・・と何となく気付いていたことが白日の下にさらされたかのような、そんな感じです。自分が幸せであるということを外の世界の何によってももうごまかすことが出来ないというところまで来て、そして悟りの探求へと行きついたわけですが。

苦しい経験を通して真実へとたどり着く

スピリチュアル系や悟り系の本を書いている人なんかはやはりものすごく苦しい経験から悟ったり目覚めたりという人がすごく多いですね。

本当に苦しいことが無ければ本当の幸せとは何なのか?とか、人生とは?とか、そこまで思いつめたりすることはなかなか無いですからね。

そして物事がうまくいっていればそういった外の世界のことで幸せをごまかすことがある程度まで可能なので特に悟りへ興味を持つところまではいかない人が多いと思います。昔の私は割とそうでした。

でも、夫が健在の頃に非二元の本を読んだ時に真実だという確信が湧いたので、たとえ幸せが続いたとしても死ぬまでのどこかの時点で悟りに向き合う日が来そうだな、と漠然と思っていましたが。その時は、表面的なことで自分が幸せだと一時的にごまかせても、いつか真実(外側に幸せは無いということ)に向き合わなければならない時が来そうだなという風に思いました。こういう直感てやっぱり現実化するんですよねー。。。

輪廻転生の中で、必ずこの真実に向き合う日が遅かれ早かれくるわけですから(詳しくはこちら→人は死んだらどうなる?死のからくり~エックハルト・トール)、そういう意味ではこうした苦しい体験があってこそ真実に向き合えるので、苦しい体験もギフトとなるわけなんですよね🌈きれいごとじゃなくて、本気でそう思ってます、今はw