本当に欲しいものを手に入れる方法~この世界は本当にパラドックス

このブログで何度も統合して(詳しくはこちら→「統合とは」)手放すというお話をさせて頂いています。私自身もまだまだたーーくさん握っているものがあり、統合して手放すことを実践中です。

そこで手放すって一体どういうことなの??ということについて考えてみたいと思います。

すごく好きな人がいて、好きで好きでしょうがなくてでも振り向いてもらえない。それで自分磨きなんかして趣味もできてあんなに好きでしょうがなかった彼だけど、別に振り向いてくれなくて全然オッケー!というところまで彼への執着を手放したらやっと振り向いてくれた。という、これが手放しです。

別に振り向いてくれなくてもどっちでも良い、というこの状態が手放した状態です。手放すと欲しいと願っていたものが手に入るようになっています。ここでは好きでしょうがなかった彼がやっと振り向いてくれるという例えですが、その人が振り向いてくれなかった場合は何倍も素敵な彼がやってくるみたいな展開になったりします。

私は夫について霊視をしてもらった時に、私が死んだらあの世で夫とまた一緒になれるかというようなことがとても気になっていたのでいろいろ聞いたことがあったのですが、「統合を進めて行ったら、きっと一緒になってもならなくてもどっちでもいいって思えるようになると思うよ」と言われました。その時すごく胸がキューンと苦しいような寂しいようなそういう感じがしました。

この3次元のエゴレベルでの愛というのは、執着が大きくある愛で、無償の愛に至ってない状態だからそう感じるんだと思います。夫について、一緒にいてもいなくてもどちらでも良いというのは、夫を手放すことだと感じたんです。そしてそれについて大きな抵抗が心に生まれました。「あぁ、私はこんなに夫に執着しているんだ」と思いました。

夫との死別に関する罪悪感、悲しみ、苦しみ、全部統合されていると感じますが、まだもちろんふっと出てくる時はありますが、重苦しいものではなく、すぐに統合できるレベルです。そしてあんなに手放せないと思っていた夫への執着も、気付けば前より軽やかになってきていると感じます。

そして思うのが、きっと私がこの世界を去る頃には、夫が幸せにしてるなら別に死後に最悪会うことすらできなくても、どっちでもいいかな♪っていうくらいまでになっているんじゃないかなぁと漠然と思うんです。今はやっぱり死んだら会いたいなと思うから、どっちでもいいと思えるようになりたいと積極的に思っているわけではないですが、でもきっとやっぱりそうなって行くんじゃないかなぁと感じるんです。統合とは、手放すとはそういうことだから。

そして、会えても会えなくてもどっちでもいいかな♪と思うのと、絶対に会いたい!と思うのと、どちらが深い愛だと思いますか?会えても会えなくてもどっちでもいいかな♪の方が断然深いはずです。会えたら嬉しい、でも会えなくてもあなたが幸せならそれでいいよと思えるのが無償の愛ですよね。

でも、全てはパラドックスです。本当の本当に執着を手放してしまったらいくらでも会いたいと思えば会えるし、好きなだけ一緒に居られるだろうし、思い通りになるんだろうなぁと思います。手放すと全てが手に入るのがこの宇宙の法則だから。

だけど思い通りにするために手放そうとすると逆効果になります。本気で手放す、というところがポイントです。本気で手放すと全てが手に入ると分かっていてもなお、欲しいものを手に入れようと思わずにきちんと本気で手放すということが必要です。

欲しいと思うものがあるのなら、欲しいという思いを(統合ワークなどで)手放す、それが最も確実な方法です。(本気で手放すには、統合ワークのカテゴリ―をご参照下さい。)

どちらでもよい、このニュートラルなゼロポイントにいるとき、全てが自分の手の中にあります。