「死別は大ごと」という罠~起こることに大小は無い

統合を教えていらっしゃる内山エナさんは、「起こることに大小はない」ということをよくおっしゃっています。

すごくシンプルな言葉なのですが、これが本当に腑に落ちると世界が大きく変わって行くくらいの大きな気付きだと思います。

どんな出来事であっても、全ては同じでただ私たちのハートの映写機が現実を映しているだけです。どんな感情、周波数を持っているか、ただそれだけです。私たちは現実を見なければどんな周波数を持っているかを知ることはできません。だから現実を見ることで何を手放すべきかを知ることができます。ただその手放すための確認として現実を使うだけなのです。その現実には意味はなく、ただ私たちの過去持っていた周波数が具現化されているだけです。

それがたとえ死別であっても、何であっても、過去発した周波数の具現化に対してあれやこれやと意味付けをしてストーリーを作って行っても意味はないのです。

ハートから発する周波数を変えてしまえば現実は変わって行きます。ハートに持っている周波数だけが真実で、現実はただの具現化されたものでしかありません。だから現実に働きかけても、そこには何もないので意味はありません。

映画と全く同じ仕組みです。映画を見ていてスクリーンをどうにか変えようとしても変わらないのと同じです。スクリーンに映し出すそのもとになっている映画のデータを変えなければ変わりません。映画の内容を変えたいときに、スクリーンに手を加えて変えようとする人がいますか?そんなことしても意味ないですね。それと同じです。

現実について考えてコントロールしたりあれやこれやと対処しようとしても、それを映し出すもとになっている周波数を変えなければ何もかわりません。どんな大ごとであっても、どんな些細なことであっても、周波数が具現化しただけのものです。

家族の死であっても、こんな大変な体験をしたのだから、と深刻になる必要はないのです。そこから湧いてくる周波数を統合ワークでポンポン手放して行くだけです。

そうすることで視点がどんどん上がってやがてこの現実のからくりが見えてきます。

どんなに深刻に思えることが現実に現れてきても、ただ淡々と周波数を統合により手放す、それだけです。その見えた現実が大ごとだからと深刻にドラマに入り込んでいってはいけません。深刻になろうとするのを止めてください。これは最大の罠だと私は感じます。私は夫と死別して1年8カ月で軽やかに朝目を覚まし、そして友達とゲラゲラわらって生きてました。現実に騙されてはいけません

映画館で、どんな悲惨な映画が上映されていても、どんなコメディが上映されていても、それは本当はただのスクリーンにすぎません。悲惨な映画を上映するときは別のスクリーンを持って来て上映しているのでしょうか。そんなことはありません。ただの同じスクリーンです。現実も同じです。目に映る現実に騙されず、すべての現実は、自分のハートに湧いてくる周波数を捉えて手放すためだけに使って下さい

現実をみて一喜一憂するのを止めてください。私たちは本当は現実に振り回されるような存在ではありません。私たちは全てを作り出している存在です

現実に大小はありません、現実をどのように体験するかを決めるのはあなたです

シリアス劇場からはさっさと退場しましょう^^