故人はかわいそうではありません~その思いが祝福に変わる時

  • 2020年7月3日
  • 2022年1月3日
  • 死別
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私は夫の闘病中の苦しみや、亡くなったその事実について「かわいそうに、かわいそうに」と死別直後は思っていました。でもそれは完全な思い違いだと後で気付きました。夫よりも少し前に亡くなった父についても同じです。

私が目覚めたい、悟りたい、そんな風に思ったきっかけは夫の死でした。もし夫が生きていたら、悟りや目覚めなど考えずにただこの地球で無難に楽しく過ごして一生を終えたいと思ったでしょう。

でも夫が亡くなった後、夫があまりにかわいそうだ、なぜ夫が苦しい思いをして死ななければならなかったのかという思いが強く湧きました。一体どういう理由でこの世界で起こる出来事は決まっているのだろうか?ただ全ては気まぐれな偶然が重なっただけで現実が作られているのだろうか?でも現実がただの無秩序な偶然によって起こっているとはとても思えなかったのです。そこには理由や法則があるはずだと。そこから目覚めへの探求が始まりました。

そして探究を進める中で、私たちはこの地球に一体何をしに来ているのかが分かって来ました。

「この世界のからくり」の記事で書きましたが、目の前に存在する全ての存在、地球も宇宙も全部は一つの意識から作り出されています。その一つの意識が色んな人やモノや動物に分離して私たちはまるで別個の魂かのように体験しているにすぎません。究極的には壮大な一人芝居ということになります。

そして分離した全ての魂はどんどん波動を上げて行って最終的に源に吸収されていくまで途方もなく長い長い魂の旅をしています。たとえどんなに凶悪な犯罪者であったとしても波動を上げていって最終的には目覚めへと向かいます。この波動をぐんぐん上げていくための旅の途中に私たちはいたのです

このため、分離した一つの魂はハイヤーセルフという源に近い神レベルの意識において、自分が波動を上げて行くために地球で何を体験すべきかを決めてきています寿命も決めてきています。親も、環境も出会う人も全て自分に必要だから自分で選んで決めていることなのです。

どんなに苦しくて悲しい体験だったとしても、その体験がその魂が学ぶために必要だと思っているから起こっていることなのです。

それを知ったので、私は夫についても父についても、「あぁあんなに辛い闘病生活も、波動を上げるためにちゃんとやり遂げたのか。本当に良かったね。立派だね。」という祝福の思いが湧きあがりました。そしてその苦しい体験を一緒にやり遂げることができた自分にたいしても頑張ったね、という思いで認めることができました。私自身、後悔と罪悪感がとてもつもなく大きくありましたが、でも実際は私自身でさえもその体験を自分で選んで来ていたのだと腑に落ちたのです。

だから、どんなに不完全に思える事でも、どんなに理不尽に思える事でも、どんなに自分を責めてしまう事でもハイヤーセルフの視点でみれば、そこから学んで波動を上げて行く、目覚めて行く、という真の目的があるのです。だから起こったことを思考で分析しないで下さい。

故人がかわいそうだという苦しい思いが湧いたとき、自分を責めたくなったとき、その高い視点を思い出してみて下さい。高い視点で見なければ苦しみから抜けることはできません。起こったことを受け入れることができません。視点を高く持ちながら、もし故人がかわいそうだ、という思いが湧いたらそこに意識を向けて統合して手放して行ってください。必ず波動が上がって視点が上がります。そうすると起こったことを納得して受け入れるということができるようになります。

私達は地球の上に立っていると地球が丸いかどうかはわかりません。宇宙に出て初めて地球が丸いと知ることになります。それと同じく、故人が苦しい思いをして亡くなったことがかわいそうだとしか思えない今の位置より視点をもっともっと高く上げてみることでそれは実は故人にとっては大きな祝福だったのだと知ることができます。