死別の傷は癒えたわけじゃない~元々傷は無かった!?

  • 2020年7月8日
  • 2022年1月3日
  • 死別

夫が亡くなってから統合ワークを実践し、約1年8カ月後に内山エナさんの個人セッションに行き、苦しみが一瞬で消えました(詳しくはこちら→内山エナさんの個人セッション~私の全ての苦しみが消えた日 part 1/3)。

それから、私は死別を乗り越えたと言えるかなと自分に問いかけた時、乗り越えたと言えると思いました。では心の傷が癒えたのか?と問いかけた時、それは違いました。傷が癒えたという感覚ではありません

そもそも何も傷など付いていなかった、そう思いました。

生まれてくる前に自分で「傷つく」という体験を今世でしようと決めていて、だけどそのことをすっかり忘れ去っていて、そしてある時

あぁそういえば自分で傷つく体験をしようと決めて来てたんだった」

と思い出したとしたら、それでも自分が傷ついたと言えるでしょうか?

私は、「この体験をやり遂げた。良かった」という感覚もありました。苦しい出来事でしたがそれがどうしても必要だったから体験し、それをやり遂げたんだと納得しました。

私は何をあんなに人生の終わりみたいに絶望してたんだろう・・・・。

傷なんかついてない。むしろ一つ大きく自分が成長したようなそんな気持ちでした。

「傷が癒えた」という言葉がありますが、傷が癒えるということは、古傷が何かの拍子に傷んだり、またぱっくり口を開けるかもしれません。傷が癒えたと感じるということは、傷が存在する次元にいるということなので。

でも本当は私たちは全て自分で決めて現実を体験している愛そのものの存在なので、傷がつくことはありません。ただ「傷ついたという体験」をしただけです。実際には傷はありません。

新しく〇〇がオープンしたというようなニュースを見たりして、夫と一緒に行ってみたかったなとかそんな思いが湧いたりします。そして私は今夫と一緒にどこかに行くという体験ができないんだなあと思った時に、「あぁ、私は一緒にどこかに行くことができない」を体験してるんだと思って、なんだかそれはそれで、有難い貴重な体験だなという気もしました(笑)

なんだかおかしな感覚です。

全ての起こることはただ起きているだけで、そこに究極的には意味もなく中立ですが、私たちが嬉しいとか悲しいとか、そういう感情をその現実に乗せてストーリーを作って体験しています

私は「一緒に~できない」と言う体験もかみしめています。

一緒にこの物理次元で体験はできませんが、でもやっぱりハートに意識を向けるとハートに全部があるような感じがします。一緒にいる体験も、一緒にいない体験も全部がハートにあるような気がします。

だからでしょうか、一緒にどこかに行けなくても、大丈夫なんです。

ただハートが愛で満たされています

統合するってすごいことだと思います。ネガティブをどんどん手放すとハートに隠れていた愛が見えてきます