絶体絶命だと思った時でも現実に騙されないで!
今日、ある韓国語の歌で少し前に聞いた時にいいなと思ったものがあり、その歌がふと頭に浮かんでどんな意味なんだろう?と思ったので調べてみたらこんな歌詞で始まりました。
「愛 あの愛のために あの人のために
私は今まで生きて来た
今日 今日と言う日が過ぎて
あの人に二度と会えなくなったら
二度と会えなくなったら
どうしよう」
本当に夫が死んでしまうかもしれないと思った時、一番最初の気持ちは私はこの歌詞そのものでした。「どうしよう」本当にそれだけでしたね。
人間本当に絶体絶命になっちゃうと「どうしよう」で思考が終わっちゃうのかもしれませんね。
「どうしよう」って思う時は、どうにもしなくて良いんですよね。そのままで。
絶対絶命の人に「どうするの?」って聞くのは意味がないです。「どうしよう」は「どうしよう」で良くて、どうにもしなくていいんです。
まずはただ抵抗せずにその感情を、思考を眺めて過ぎ去るのを見届けることを今の私ならやると思います。そうするといつの間にか消え去って行きます。
そして落ち着いたら統合してくと「どうしよう」が愛と感謝に変わっていくんです。
あんなにもう一歩も前に進めない、と感じた苦しみも今はその感情を再現することはできません。
統合すると人生が真実でないドラマに感じてくる
まるで映画を見るように、まるでドラマを見るように、少し高いところから悲しみも苦しみも眺めてそこから残った愛や感謝の余韻を感じるような、そんな感覚です。
このドラマの続きは一体どうなるんだろう?そんな視聴者的な視点もあります。
視聴者になると、主人公に対してなぜ気づかないの!?とか、気を揉んだりしますね。視聴者になって初めて分かるドラマの愛と感謝のメッセージがそこにはあるんです。
もちろん生きて一緒に生活できたらどれほど楽しかっただろうと思います。でもそうでなかったとしてもまた別のドラマがそこにはあります。私たちは魂レベルでそのシナリオを選んで来ているんです。
ドラマを見るときに、王道のハッピーエンドの恋愛ドラマもあれば、悲恋物語もあるし、アクションもあります。王道のハッピーエンドの恋愛ドラマしか見ません!って人はあまりいないですよね。たとえ王道のハッピーエンドの恋愛ドラマだったとしてもそのドラマの中で紆余曲折するほど面白くて視聴率が上がったりしますね。だからつまらないってことは無いんです。
そういえば死別直後に自分のこれからの人生を思い浮かべた時に、こんなつまらない人生はあまりにも白けすぎて全くテレビドラマにもならないと思いました。今は結構視聴率の取れるドラマになるんじゃないか、なんて思います。平凡な生活ではありますが、大きな気付きに満ちています。
どんなに統合したとしても、目を醒ましたとしても、夫が生きていた時と同じ感情を経験することは二度と無いわけですが、でもそうだったとしてもそれはそれで良い、それでOKという感覚が今はあります。
私はこのドラマの続きをもう少し見てみたいと思うんです。