死別体験は味わいへと昇華させられる!
私たちは比較によってこの世界の全てを体験しているわけですが、大切な人を失うことほど苦しみが大きいのはこの比較の振れ幅がものすごく大きく、そしてそれが真実だと思っているからです。
しかしひとたび比較というのは人間の観念によって生み出された意味付けに過ぎないのだと腑に落ちてしまうと、比較によって体験できる様々な人生の出来事が味わいとして感じられるようになってしまうのです。
死別の悲しみを昇華させるポイントは、
ことです。
私の実際の経験を元に、死別の悲しみですら味わいとして感じられるようになる方法を、比較だけによって成り立っている現実世界の仕組みとともにご説明します!
私たちは比較しなければいかなる体験もできない
甘さを強く感じるためには塩が必要!
料理において、より甘さを引き立たせるために砂糖だけでなく塩も入れたりします。それが私たちが体験する現実世界の仕組みをよく表しています。
しっかりと甘さを感じるためには塩が無ければだめなんです。愛を知るためには愛が無い状態を知らなければ何が愛なのか、知ることができません。
どんな体験であってもその反対のものや概念が無ければ体験できないのです。
どんなことも比較しなければ認識すらできない
真っ白い紙に白い色鉛筆で絵を描いてみて下さい。何が見えますか?絵の形も、色の白さも何一つ認識できません。色の違いという比較できるものが無ければ私たちは本当に何一つ認識できないのです。
私たちはこの世界の全てを比較によって認識しているからです。
比較による体験に隠された秘密~死別の悲しみが人生の味わいとなるワケ
相反する感情をあなたは同時に持っている
比較によってこの世界を認識しているというこの仕組みには実は大きな秘密が隠されています。それは
ということです。
愛が深いほど、大切だと思うほど、その反対の感情も深く深くなって行くんです。絶対に失いたくないという恐怖であったり、失った時の苦しさであったり怒りであったり、反対の感情も同時にあなたは必ず持つことになります。
あなたが誰かを本当に愛した時、本当に大切だと思った時、あなたはその反対の感情を同時に引き受けているということです。
【ユング心理学】コンプレックスがあるときは同時に相反するコンプレックスも存在する
優越感が無ければ劣等感が感じられない!
ユング心理学入門(河合 隼雄著)によると、強い劣等感コンプレックスをもつ人は、どこかに強い優越感コンプレックスを持っているのが常であるとあります。そしてこの相反するコンプレックスの強さは同じ強さで存在するのです。
これは一見分かりづらいように思えるかもしれませんが、比較によってしか体験できないこの世界の仕組みによる単純な法則によるものです。
具体例
あなたが全く興味の無い分野について誰かと競争をして負けたとします。あなたは劣等感を感じますか?感じないというか、感じることができないはずです。あなたはその分野において興味が無い訳ですからその分野における優越感を持っていないからです。だから劣等感を感じることも無いのです。
だけど何年も取り組んできて情熱を注いで来た自信のある分野において誰かと競争をして負けたとします。あなたは劣等感を感じますか?感じるはずです。あなたは人には負けないはずだという優越感を持っているからです。
自信がある分野ほど劣等感を感じてしまう
あなたが強い劣等感を感じるためには、本当は自分はもっと人より優れているはずなのだという反対の思いが必ず必要なのです。人が特に自信を持っている分野ほど劣等感を感じやすいのはこのためです。
死別の体験があなたにもたらすものは喪失感だけじゃなかった
生きることの尊さを教えてくれる
死別の体験も全く同じです。大切な人を失うというそのとてつもなく大きな喪失感による悲しみは「生きる」ことの尊さを同時に感じさせるのです。
この比較の世界では、あなたにとっての生きる事の本当の意味を知ることは誰かの死に遭遇することしかありません。
それも、一番大切な人が亡くなるという体験ほど生きる意味とその価値を教えてくれる体験はありません。比較が無ければどんなものですら体験のしようがないからです。
大切な人への愛、大切な人からの愛を知る
大切な人との死別という体験があなたに伝えているのは喪失感による悲しみだけではなく、その人の本当の素晴らしさや、その人からのそしてその人へのあなたの愛の深さです。
その人を失う事が無かったらあなたはその人の愛の深さどころか自分の愛の深さすら永遠に知り得なかったのです。苦しみの裏に初めてその姿が浮き彫りになるのです。
そしてそれこそが人生の味わいです。
死別の体験を人生の味わいへと昇華させる方法
この死別という体験を深刻さや重たさの無い本当の味わいへと昇華させる方法は、良い悪い正しい間違いという比較の観念を手放して行くという事です。
比較の観念を手放すというのは比較の観念を消すという事ではないですし、そもそも消えるものでもありません。比較の観念が無ければ何も認識できなくなってしまいますから。
そうではなく、
です。比較の観念を手放すことで比較を逆に今度は楽しめるようになるんです。真実じゃないと分かれば全部がある意味全ては楽しみになってしまうという事ですね。
そして中庸の精神を保ちやすくなります。現実世界の出来事に極端に喜んだり極端に悲しんだり、そのような比較体験型の在り方から抜け、もっと穏やかで落ち着いた在り方へとシフトできるのです。
比較の観念を手放すことで私に起こった変化
死別ですら味わいに変わる
私は死別が悲しいことだ、あってはならないことだ、という良い悪い正しい間違いという対比による観念を、手放しのワークやマインドフルネスな在り方によって手放して来ました。
▶手放しのワークはこちら→【死別の苦しみを手放す!】簡単・手放しのワーク★効果絶大3ステップ
▶マインドフルネスについてはこちら→【家族の死から立ち直れないあなたへ】マインドフルネスのやり方3選!
そうすると、死別の悲しみが全部消え去って何事もなかったようになってしまうといわけではありません。起こったこと全てがそのままでOKなのだという感覚になり、死別の悲しみですら味わいになってしまったのです。
比較でしかどんなことも体験できないこの世界において、ネガティブな感情はこの人生を体験するためにポジティブと同じだけ意味があり、そして優劣も無いのだと腑に落ちました。単なるコインの裏と表なのです。
悲しいけれど素敵な映画は数えきれないほどあると思います。悲しいのに素晴らしいという気持ちを味わったことが無い人などいないはずです。それが味わいという感覚です。
死別による悲しみも全部貴重な経験だと分かる
私は夫がいないことで、寂しくて苦しいという重たい気持ちはありませんが、でもベールのかかった寂しさや物悲しさやら、そんな感覚はどこかにあるという感じです
この肉体の死が来るまで会うことはできないわけですが、このもう二度と会えないという感覚、これを経験できることがすごい事なんだろうなと思うことがあります。
「あー、会えないんだ」というこの感覚はこの肉体を持っている間しか経験することはできないので、一つの経験としてただただ貴重なものなんだという感覚が湧いてきます。
もちろん生きていた方がどれほど楽しかったろうなと思いますが、でもそれが出来ないという・・・・・この不完全燃焼のような感覚。それも含めてこれをこそ私は体験したかったんだろうなぁと思うのです。
比較の観念を手放すことは誰でもできる
これを読んでも全く理解できないと今あなたが感じたとしても、あなたが私のように本気で死別についてのネガティブな観念を手放していったなら、この意味が手に取るように分かるようになります。
ネガティブな観念を手放すと、ネガティブが一切湧かないという事ではありません。ネガティブな観念が湧いておりそれが真実じゃないとはっきりと気付けるようになるので放っておけるんです。ネガティブな観念がある、と認める受け入れそして放っておけるという事なんです。
これは単純な仕組みだからです。この人にできるけどあの人にはできないとか、そういうものではないのです。