私がこのブログを始めようと思った理由は、とにかくスピリチュアルな話をするのが楽しいからでした。そして、死別の体験をきっかけにスピリチュアルや悟りの探求をする中で大きな気付きが沢山あり、ついこの間までいた大切な人がいなくなったとしても、それでもこんなにパワフルに軽やかに楽しく生きられるんだということを伝えたいと思ったからです。
大切な人を亡くすという体験をした人はもちろんのこと、そうでなくてもスピリチュアルや悟りや統合ワークのことを知らないという人たちに、私の体験を通して見えた真実を新たな視点として取り入れてもらえたら嬉しいなと思いました。なぜかというと、それを知るのと知らないのとではこの先の人生が全く違うものになると思っているからです。物理的な人生の展開のことではなく、その人の人生の捉え方のことです。
人生が物理的にどう展開するか、お金持ちになるのか、そうでないのか、大企業に勤めるのか、そうでないのか、結婚するのか、しないのか、そういう次元の話ではなく、本質のあなた自身がどんな気持ちで生きて行くか、というところに大きな変化が出てくる事になります。そして人の感情が現実を作っているので(詳しくはこちら→現実の作られ方~出したものが返ってくる)、結果的に人生の物理的な展開が変わって行くことになります。
私はよく思うのですが、人はなぜ悲しいと感じるのかと考えた時、それはその人が起こった出来事に対して独自のストーリーをそのように描いているから、としか言いようがないと言うことなんです。
究極的に言うと、私たちのこの世界で起こっている全ての出来事は海の波のようなものだと思うんです。そこには実は何の意味も無いということです。海の波を見た時、そこには何の意味もありません。ただ無数の波がゆらゆらと何処までも続いているだけです。
だけどそこにもし意味付けしたら全く違うものに見えてくるはずです。もし波にも波の世界があって気持ちがあったとして、この波の形は「悲惨」この波の形は「祝福」この波の形は「貧困」などなど波の世界では波がそんな風に波の形によって意味付けして感情を感じているとします。そして波が別の波を飲み込んだら家族が亡くなった、という風に捉えて悲しむとします。
でもそれを私たちが見たって何が悲しいのか何が苦しいのかさっぱり意味が分かりません。なぜなら波は波でしかないし、そこに悲惨も、祝福も貧困もないのですから。ただ波でしかありません。
でも実は私達の世界も同じなんです。本当は全ての物事自体には何の意味もなくただそのように「在る」だけなのです。そこにストーリーを作って悲しいという感情をその物事に乗っけているだけです。だから、本当のところは現実がどう展開していくかが私たちの感情を左右するのではなく、私たちがその現実にどんなストーリーを乗っけるかで私たちの感情が左右されます。
しかし、そうは言っても中立である現実にストーリーをくっつけて苦しみを体験する在り方を変えたくてもすぐにできないと思うかもしれません。
そのストーリーから抜けて目を醒ますためのツールが統合ワークだったり、瞑想だったり、思考観察だったりします。または覚者の話を定期的に聞くことでその波動に共鳴して大きな気付きがあるとき生まれることもあるかもしれません。
もしあなたが、現実に展開されるストーリーに一喜一憂して深刻になっているのなら、私が実際に行っている統合ワークを試してみて下さい。(統合ワークのカテゴリーをご参照下さい)まずは実際にやってみるといことが大きな一歩となり、その途中で必ずあなたにぴったりの方法や情報が入ってきてストーリーから目を醒ます方向へと導かれていくはずです。
思うだけじゃなく、実際に何かやってみる、これがこの地球での人生を変える唯一の方法です。行動してすぐに現実の変化が分からないかもしれないですが、必ずその一歩が自分の行きたい場所へつながっています。そのくらい小さな一歩という実際の行動はパワフルです。
私は最初並木良和さんのワークショップで学びましたが、その後内山エナさんから統合の基礎からしっかり学び、大きな気付きがありました。とにかく分かりやすいです。ピンときた方は参考にしてみて下さい。