亡くなった人は本当に遠くへ行ってしまったのか!?
亡くなった人についてよく、「遠くの世界に行った」とか「星になった」とか「遠くに旅行に行ってる」とか、そんな表現を聞いたことがありませんか?
今日、夫に会いたいなぁと考えていた時、夫が「遠くの世界に行ってしまった」と表現するとしたらなんだか違う気がすると思いました。逆じゃないのか?と。
私が帰るべき夫のいる場所にまだ帰れない、だから夫ではなく「私が自分の都合で遠くの世界(地球)にとどまったまままだ帰れない」というほうがしっくりきました。あえてこの世界にとどまっているのだ、と言う方が真実を表していると思うからです。
私達は地球に一時的に遊びに来てるだけ
永遠の命である私達の魂が、永遠の旅の中で一時的に地球に滞在しているからです。私達の本質はこの肉体ではありません。だから肉体が死んでも魂は生き続けます。これは臨死体験をしている方の本などに体験談として書いてあり、肉体が死んでも意識がはっきりとあったということが記されています。
私達の本当の故郷は地球ではなく死後の世界だと言われています。魂の故郷という言葉も使われたりしていますよね。
人はみんな目覚めるための永遠の旅をしていて(詳しくはこちら→人は死んだらどうなる?死のからくり~エックハルト・トール)、この地球にいる理由は目覚めるためだから、永遠のうちのほんの一時的な滞在にすぎません。
本当は私が地球に自らの意思でとどまってるだけ
本当にその通りだと心から思えるから、私がここに居たくているんだ。まだ死なないでここにとどまってる理由はまさに私自身がそうしたいと思って決めて来たからなんだと感じます。
でもそれがまだわからなかった時は、「なぜ私を残して死んでしまったの?」という思いがどうしても湧いてきたものです。
でも実際は逆だったんです。むしろ亡くなった人の方が魂の故郷で「帰ってくるの待ってるよ。早く帰って来てね」という感じかもしれません。
地球にとどまることをあえて自分で選んでいる。このことに気づけるだけで、今のこの地球上での人生を大切に生きなければと思えます。
そうまでしても、目覚めたくて、この地球で生きることを決めたわけです。でもそのことをすっかり忘れているなんてもったいない。
そうだ、ここに居ることを選んだのは私なんだ。だからまだもう少し待っててね、と思えるんです。