死別の苦しみがなぜ生まれるのか?~そのからくりと対処法

死別の苦しみは周りの状況に左右される相対的なものだった

苦しみや悲しみは、今目の前で起こっている現実に抵抗する気持ちがあるとどんどん強くなります。

私は死別直後のとても辛い時にあることを思ったことがあります。

40代前後で配偶者を亡くしたという人がその時私の直接の友達や知り合いには一人もいませんでした。なぜ私の夫だけこんなに早く亡くなってしまったんだろうという気持ちになりました。

そこで思ったんです。もしもこれが戦時中で、周りに戦争で若くして夫を亡くした人が沢山いたとします。例えば自分の友達や知り合いが全員未亡人だったらどうだろうか?私の気持ちは軽くなるだろうか?と考えてみました。

「間違いなく軽くなる」と感じました。

それはなぜなのでしょう?

周りの状況がどうであれ、私自身の状況としては夫がいないという全く同じ状況なのに、周りが全員未亡人だったら心が間違いなく軽くなるだろうと感じるということは、周りの状況によって私の気持ちが左右されていると言うことになります。

なぜ周りの状況によって私の幸せが左右されるんだろうか?幸せって相対的なものなのか?いや、違う気がする。でも少なくとも私の幸せは相対的なものなんだ、と思いました。

え??幸せが相対的な物!?とまず大きな違和感が湧きませんか?私は大きな違和感が湧きました・・・・。でも真実なのです。

苦しみが相対的なものであるなら幸せももちろん相対的なものということになります。それまでの私は幸せも苦しみも相対的なものでしかなかったのです。

現実に抵抗することで苦しみが生まれていた

その後に悟りと目覚めの探求を本気で進めて行く中で、なぜそんな風に感じてしまったのかが分かりました。

それは、今起こっている現実を受け入れたり納得できないことで苦しみが生まれるからなんです。

周りの友達や知り合い全員が未亡人だったのなら、自分も未亡人になってしまったのは普通のことです。人間は当然であり普通だと感じることに苦しみは感じません

なぜかというと、普通のことであるなら現実に抵抗せずに受け入れることができるからです。だから気持ちが軽くなるんです。

苦しみというのは抵抗しなければ大きくはならないのです。そして人によってはただ受け入れるというだけでその苦しみが素早く消えると思います。

起こったことをそのままに受け入れられるかどうか、現実に起こる自分にとってのネガティブに感じる出来事を乗り越えられるかどうかはそこにかかっていると思います。

この地球は本当にパラドックスです。受け入れれば終わるんです。逃げると続くんです。

苦しみの対処法

ではどうやったら受け入れることができるのでしょうか。

苦しい出来事=「自分にとって普通ではない、当然ではないと感じる出来事」ということなわけですから、起こった苦しい出来事が、実は自分にとって普通の出来事、当然の出来事であるということが腑に落ちれば良いということなんです。

まず自分に起こる現実は全て自分が作り出していることをしっかりと腑に落とし、同時に統合ワークによってネガティブな感情を手放して行きます

そうすると、その出来事に対して今まで感じていたネガティブな感情が湧かなくなり物事が真実の姿であるただの中立な出来事として捉えられるようになるんです。出来事を良い悪い大きい小さいのジャッジなくありのままにただ起こることが起こったという中立の視点で見られるようになるんです。

そして私は死別後1年半で悲しみが消えてしまいました。その後も統合を続けていますがやはりどんどん軽くなって行きます。

夫との幸せな記憶を思い出したとき、前なら現実にはいないことを思って余計に辛くなっていましたが、今は幸せな記憶を思い出して「あぁ、幸せ」でおしまいなんです。今この瞬間に幸せなんです。

統合を進めて真実が見えてくるって本当にすごいことだと思いました。