思考が語る悲しいストーリーは事実じゃない

思考が嘘のストーリーを語り出す

この世界は、現実に色んな人やモノがあって出来事がどんどん起こってきて、そこにストーリーを皆それぞれが独自に作って意味付けをしています。

ネガティブな感情が湧いたらネガティブな感情の理由を説明するストーリーを思考が語るんです。ポジティブな感情が湧いたらポジティブな感情の理由を説明するストーリーを語ります。

また、好きな捉え方ってありますよね。ドラマティックが好きな人、行間を読むのが好きな人、人によって傾向や好みが違っています。みんな無意識のうちにそのような自分の傾向によってこの現実世界で起こることをストーリー化しています。

そのストーリーというのは人によって変わるので事実ではありません。例えば友達や家族と全く同じ現実を経験したとしてもその捉え方が友達や家族と違ったりしますよね。

例えば、死別に至るまで、そして死別後の私の個人的な人生がありますが、そのストーリーをもし誰かに語るとしたら、ものすごーく暗くそして大変で悲しく語ろうと思えばいくらでも語れるし、その逆ですごくポジティブに軽やかに語ろうと思えばいくらでもそのように語れます。

全く同じ出来事でも、どのように自分の感情の湧いた理由を説明するかでストーリーが全く変わります

視点を上げて悲しいストーリーを書き換える

死別を乗り越えるというのは、自分の思考が語る人生のストーリーが変わってしまう、というような感じです。捉え方が変ってしまうので、ストーリーが書き換わってしまうんです。

当時はどうみても苦しい悲しいストーリーにしか思えなかったのに視点が上がると愛が溢れる尊いストーリーに思えたりします😊

死別によって浮かんでくる感情を地道に手放して行くと、自分自身が悲しいストーリーに仕立て上げていたと感じてきます。

何か過去の辛い記憶が出てきて、そこに罪悪感や悲しみなど出て来て自分を苦しめるような思考がぐるぐるし始めたら、それを否定する必要は全くありません

ただ一つポイントとしては、「あ、罪悪感や悲しみの感情がまた苦しいストーリーを作って思考が語りだしてる。すごいなぁ、こんなふうに架空のストーリーが出来上がって行くんだね」という具合に眺めてみてください

このように架空のストーリーを思考が語っているということに気付き続けることが大切です。

このように続けて行くとだんだん視点が上がって行って、自分が悲しいストーリーを作り上げてハマりこんでいただけだったんだというように軽やかになって行きます。過去の記憶によって湧き上がる苦しみなどが消えて行きます。

そして、いかに自分が事実でない思考によってあれこれストーリーを作り上げては苦悩していたかが分かります。そして他の人に対するジャッジが無くなって行きます