死別=不幸なんかじゃない
ついつい私たちは死別=不幸と考えてしまいます。実際に私は夫と死別するまではそう思っていました。
でも実際に私自身が夫と若くして死別してみて、別に死別=不幸というのは単なる思い込みだったのだと気付けました。これは死別して見なければ知り得なかったかけがえのない私にとっては大きな気付きでした。
死別したのだから笑っちゃいけないのではないか、すぐに元気になってはいけないのではないか、そんな風に感じてしまう方もいらっしゃいます。ですがそんなことは無いのです。そして故人もそんなことを望んではいません。
落ち込むことが供養ではないし、故人に対する罪悪感で自分を責めることが供養ではありません。
いつかあなたが肉体を脱いで故人にまた出会うその日まであなたらしさを最大限に発揮してこの人生を生き切ることこそが最大の供養です。
あなたが逆の立場ならそうではないですか?もしあなたが故人の立場なら、あなたの愛する人があなたの死別後に喪に服したまま人生を終えてほしいと思うでしょうか?
そんなことは無いはずです。だからこれからもあなたらしく、遠慮なく沢山笑って生きて下さい。
この世界は塗り絵と同じ
私は何かの気付きがあるときにイメージが浮かぶことがあるのですが、ある時この世界が真っ白な塗り絵というイメージが湧いたことがあります。
ただ白い紙に黒い線で何かが書いてあるだけ、みたいな。塗り絵って色が塗られてない状態だとぱっと見た時に一瞬何の絵だかわからないんですよね。
そのように本来何の意味付けもされてない何も塗られてない塗り絵だけがあって、そこにみんな独自の思考で色を付けて解釈してそしてその世界をまるで唯一無二の真実😧であるかのように経験していたりするんです。
だけどその色の塗り方というのも生まれてから植え付けられた観念によって塗ってるだけだったり、他の人がみんなその色で塗ってるからその色にしていたり。
私たちの考えっていうのは私たちの本質ではありません。考えは勝手に湧いてくるもので、そしてそれは周りの世界から植え付けられたものが勝手に湧いてるだけです。だからついつい、自分の考えによって無意識に塗っている色に気付くことが大切です。
自分の思考によってこの色に塗ってるんだと気付くだけです。それが良いとか悪いってことじゃないんです。その塗ってる色を事実だと思い込むことを止めるだけで、現実に振り回されて一喜一憂して疲れるという事から自由になれるんです。
塗り絵なんだと気付くことで苦しみから自由になれる
事実というのはただあるがままです。そこに良い悪い正しい間違いはありません。自分で色を塗っておきながら、でもこれは事実じゃないんだけどね、という視点を同時に持ち続けて下さい。どんな色に塗ろうとも問題ないし間違いは無いですが、事実じゃない、単なる自分の解釈なのだと気付くことがポイントです💡
この高い視点が無い限りは苦しみから抜け出すことは難しいです。何の意味付けも無いことに色を付けて解釈することで良い悪い正しい間違いが生まれてそれが唯一無二の事実だと勘違いすることが苦しみの根源だから。
他の人が何色に塗ってようがどうでも良いのです。だから他の人の塗り絵は放っておいて、自分は自分の好きなように塗っておけばいいわけです。
だけどたとえば他の人の塗り絵に影響されて自分の塗り絵を真っ黒に塗っているとするならそれも悪いわけじゃなく、ただ影響されていることに気付き、そしてそれは唯一の事実じゃないって気付いていることが大事です。
そしてそうやって自分が何の意味付けも無いものを思考によって解釈してるんだってことを日常の小さなことから大きな問題まで全てに気付くようになってくると、ある時全ての物事は本来何の意味付けもないんだってことが腑に落ちる日が来るんです。
大切な人との死別だったとしても、それによって苦しむとか、不幸な気持ちになるとか、笑えないとか、そんな思いすらも囚われなくて良いのだと分かります。
大切な人の死も、それは起こるべくして起こった避けようのない出来事です。そこに膨大なネガティブな意味付けはいりません。ただあるがまま認めるだけです。遺された人が不幸な顔をしてなきゃいけない理由はどこにも無いんです。
そして自分を苦しめる思考が湧いてもそれを掴まえて信じてそして深刻になる代わりに、さっと流せるようになって行きます😊
🌟おまけ
前に塗った曼荼羅塗り絵↓こんな風に自分の世界も自分らしく好きな色に塗りたいですね。 塗り絵って癒し効果がありますよ。
魂が成長するグリーフケアセラピーでは、死別=不幸というような観念から自由になり、最速で死別の苦しみを乗り越える実践を行っています。たった数か月で当初とは比較にならないほど軽くなったというお声を多数いただいている再現性の高いセラピーです。興味のある方はお試しカウンセリングにお申込み下さい。