自分が大変な時、故人とその気持ちを分かち合えないこの寂しさをどうしたらいいのか

子供を育てる中で多少なりとも心配をしたりどうしようかなと迷うことだったり大変さを感じることもありますが、そんな時にそれを私と全く同じ立場で一緒に分かち合う人がいないということが心細かったり、怖かったり、気持ちの持って行き所がないような思いを感じることがありました。

どんなに周りの人が助けてくれたとしても、やっぱり親である2人にしか分かち合えないことがあります。そしてもう二度と分かち合うことができないというところに苦しみがありました。

でも、そうした死別にまつわるネガティブな周波数がまとめて統合されてしまった後 (詳しくはこちら→内山エナさんの個人セッション~私の全ての苦しみが消えた日 part 1/3)、条件反射的に一部の周波数が出てくることはあるのですが、以前のようにその周波数に浸ることができなくなりました。ただ思考として条件反射的に流れて行く感じで、それでおしまい、という感じです。「あぁ分かち合う人がいないと育児でもやもやしたときストレスの行き場がないね」みたいな思考がサーっと通り過ぎて行く感じです。

そこに周波数はあまり乗っかっていません。もやっとするものがあったりするのでそれを統合します。そのためすぐに消えて次はもう何とも思ってないような状態です。その自分の思考に同調すらしなくなってきます。あぁでもそれ(思考)って嘘だなと感じているんです、深いところで。

ネガティブな周波数が統合されていないと、どんどん思考が次の思考を呼び、苦しく、悲しく、深刻な妄想になって行くかもしれません。ネガティブな思考が湧くたびにもやもやを手放していく(やり方は統合ワークのカテゴリをご参照下さい)と負のループにハマらずに終わります。

例えば悲しい記憶も出ては来るんですが、でもそれも思考として通り過ぎて行く感じです。そこに大きな周波数があまり乗っかっていません。だからそこに浸るということができなくなります。深刻になって暗くなるということが無くなります

そして子育ての中で湧いてくる迷いや心配などいろいろあったとしても、それって別に分かち合わなくても大丈夫なんだと最終的に気付きました。もし夫が生きていて分かち合えたとしても、実はそれで迷いや心配が消えるわけじゃないんです、「自分が」手放さない限りは。

自分が手放すかどうかなんです。だから分かち合う人がいるとかいないとかではなく、自分が手放せば消えて行きます。誰かと分かち合うことで苦しみが半分になるとか、消えるというように勘違いしているだけです。自分が手放さなければ、ネガティブな周波数を配偶者がいて分かち合ったとしてもそれは消えることはありません。消えないと何が起こるかというと、同じ周波数をもう一度体験する出来事が起きます。手放すまで続きます。

例えて言うならば、病気を対処療法(=誰かと分かち合う)で済ませて根治(=手放す)をさせないでおくか、または根治をするかの違いのような感じです。

確かに、子供のことを私と全く同じ立場で同じ熱量で分かち合えるのはただ1人夫しかいない事実は今も変わりません。でも、「分かち合う」ということが迷いや心配やストレスを消すことではないんです。

この仕組みに気づくと、夫がいないと育児のストレスのやり場がなくなるというような思考は嘘だと感じるようになります。だってストレスを軽減するには自分がその周波数を手放すしかないんです。誰かが代わりにやってくれるわけじゃないし、代わりにできる事でもないんです。だから実はそこに夫は全く関係ありません。そうなってくると思考が湧いても感情が乗っからなくなります。所詮は嘘だと腑に落ちているので、その思考に本気になれないんです。

何か自分を不安にさせるような思考が出てきたらそれは嘘だったり、自分軸からずれているお知らせです。そのため、いくらその思考をこねくり回しても嘘は嘘しか生みませんし、ズレてる事はズレてる事しか生み出しませんから自分の本質へはたどり着かないのです。

本質というのは、「愛」や「安心感」や「豊かさ」など心地の良い感情です。そっちが真実です。