死別した大切な人に会いたい時~故人と繋がろう!
死別した大切な人に会いたいなぁと思うことはもちろんありますよね。
私は夫と死別した後に死別の苦しみを手放しのワークなどによって手放して行き、死別を乗り越えたと感じた時に自分のハートに意識を向ければいつでも夫を感じられるのだ、という事に気付きました。
ここでは、私が実際に行っている死別した大切な人を感じ、繋がり感を体感できる簡単ワークをご紹介したいと思います!
死別して初めて理解したこと
死別をした当初は、家族みんなでそろっている人を見た時に寂しさを感じましたが、今は幸せそうな家族を見ると、心からその幸せがずっとずっと続きますようにと思っている自分がいます。
私は夫が亡くなったことで、家族みんなが元気で揃っているというその素晴らしさを本当に理解しました。本当に限界まで理解したと思います。きっと同じ経験をした人はみんなそうだと思います。
だけど、それは失わなければ限界まで理解するってできなかったはずです。
持っていた宝物の本当の価値を理解した、そのような体験です。
今側にはいなかったとしても、愛する人と過ごした日々の本当の尊さを理解したというその感動は色褪せることのないものです。私は本当に素晴らしい日々を過ごして来たんだ、というその感動です。
死別した大切な人に会いたい時にいつでも愛の温泉に浸ろう!
故人を感じる簡単ワーク!
①今この瞬間に意識を戻す
▶思考から離れて、身体がここに「在る」「生きている」という単純な感覚に意識を向けて下さい。自分の身体を意識すると今この瞬間に意識が戻ってきます。難しければ足の裏が地面に付いている感覚、手の感覚に意識を向けてみて下さい。
②心臓のあたりに意識を向ける
③大好きな故人を思う時のハートの感覚を呼び起こす→愛の温泉に浸る感覚
▶温かい愛、感謝というような故人に対する心地良い感覚、または慣れ親しんだ故人と一緒にいた時の感覚を呼び起こしてハートをその感覚で満たします。愛の温泉に浸ってぬくぬくしているようなそんな感覚に包まれるまで沢山感じてみて下さい。
愛の温泉を体感すると満たされる
こんこんと湧きでる愛の温泉のように、大切な故人を感じたいと思えばいつでも感じることができます。あぁこれは生きていたら気づけなかったなぁと私は思いました。
その愛の温泉がハートにあるということを体感して行くと、とっても幸せそうな家族がいたとしても、そこと比較して自分は寂しい、苦しいという感じ方ではなく、自分にもちゃんと愛する人がハートにいるんだと思えるようになります。
思考の中でポジティブに捉えようとする、ということではなく、体感を通して素直にそう思えるようになって行くのです。
寂しいと思うのは、自分の中に幸せが無いと錯覚しているから感じられる感情です。
でも、ハートにある温泉にこんこんと愛が常に湧き出ていることに気づけば、故人がどこにもいないという分断された感覚ではなく一体感を感じられるようになります。
もし寂しいという錯覚を感じたら、いつでも自分のハートに意識を向けてそして愛する人への思いをハートで感じてみてください。そこには変わらずこんこんと湧き出る愛があるはずです。その愛の温泉をただ感じて下さい。その体感はまさに愛する人と一緒にいることそのものです。
だからいつでもあなたが会いたいときに会えるんです。その体感を呼び起こすだけです。それだけであなたは愛の温泉に浸かることができます。寂しい時はいつでも愛の温泉に浸かって下さい。
「愛=体感」肉体が無くても大丈夫
愛って体感なんです。だから、物理的にそこにいるとかいないとか関係ないんす。
だって、大好きな俳優って、別に側にいなくたってきゅんきゅんしてるだけで楽しいとか幸せとか思ったりしますよね。似たようなものです。物理的にいるかいないかは関係ありません。
▶「智恵子抄」で有名な彫刻家であり詩人の高村光太郎は妻を亡くした後に、妻亡き後も自分と共に妻がいつもいるのだという気付きによって苦しみを乗り越えています。詳しくはこちら→【著名人に学ぶ!配偶者との死別の乗り越え方】高村光太郎
鬱状態の自分であっても認めよう
その感情を掴もうと必死になったり、また逃げようと抵抗することをせずに、ただ湧いてくる感情を人生の味わいとしてありのままに受け入れ、認める事で、感情の波に振り回されない楽な生き方ができます。
今の自分を受容するというところが少しでもできるとずいぶん楽になったり心が緩んでくるはずです。いつも自分自身を内観して、自分を認めてあげてるかな?と気にしてみて下さい。
今の自分の心の状態が次の現実を作ります。だからどんな自分であっても今の自分を認めることで、心地良い現実を創り出せるんです。
★今日の記事のポイント★
- 寂しい時はハートに意識を向けてこんこんと湧き出る愛の泉を体感する
- 「愛=体感」であり、肉体があるかないかは関係ない