亡くした人への罪悪感や後悔の思いで苦しむあなたへ

大切な人を亡くすと罪悪感や後悔が湧く人が多い

家族を亡くした経験のある方の多くは罪悪感や後悔の思いが一度は湧いたことがあるのではないでしょうか。

とりわけ予期せず家族を亡くした方、または若い年齢の家族を亡くしたケースではとても大きな罪悪感や後悔の念を抱いてる方も多いかもしれません。してあげたかったことが出来なかったり、十分なお別れの言葉や言いたいことが言えなかったり、様々なケースがあると思います。

病気や事故、自殺など様々な原因があると思いますが、死に至るまでに自分にも原因があったと感じていたり、またそのストーリー上客観的に見ても自分に非があるとしか思えないと感じる場合もあるかもしれません。

ここであえてストーリーという言葉を使いました。と言うのも、本当にストーリーでしかないからです。これについては後述しています。

罪悪感や後悔は勝手に湧いてくるもの

私は大きな罪悪感を抱えていました。あの時ああしていれば良かった、こうするべきではなかったなと、きりがないほどに様々な映像、言葉など何かにつけてフラッシュバックしていました。

そしてこれは今もたまに湧いてきます。ちょっとした瞬間に勝手に湧いてくるものです。ご飯にお箸を伸ばしてる瞬間、湯船につかる瞬間、本当に何気ない瞬間に湧いてきます

だけど今は、そうした罪悪感や後悔を湧き上がらせる思考が真実ではない自分を責める必要がそもそも全く無いという事に気付いているので、「こんなに大切なことに気付かせてくれてありがとう」という思いをその罪悪感や後悔という感情に向けると消えて行くような感じです。

または、吐く息、または吸う息とともにふわっと消えるイメージをして手放したりしています。そしてその数分後どんな映像がフラッシュバックしたのかすら忘れてたりします。そのくらい軽やかですよ😉

なぜ自分を責める必要がないのか

なぜ自分を責める必要が無いのかというと、スピリチュアルな視点で見ると自分がそもそも全てを創り出していて、どんな人生を生きるかというのも生まれる前にストーリーを作ってきています。寿命も同じです。

そのストーリー自体も前回記事にしたアジャシャンティの言葉によるとカルマによって条件付けられています(カルマは知っておいた方が良いのでぜひ読んで下さい→カルマの与える影響)。持っているカルマを解消すべく特定の体験を映し出してます。

例えば罪悪感や後悔のカルマを持っていれば、その感情を抱く経験をこの物理次元で映し出し、そしてその感情を経験します。その時に受け入れる、つまり手放すことが出来ればカルマ解消ということになります。もし手放すことが出来ないと何度でも同じ感情を経験する出来事が起こってくるという仕組みなんです。

そのため、罪悪感や後悔のカルマを持っていれば、その感情を抱かざるを得ないようなストーリーが展開されるんです。なぜストーリーかというと、罪悪感や後悔をただ感じることが真の目的で、それを感じるようにストーリーが組み立てられているだけからです。

そしてそれをただ手放して受け入れるだけでいいわけです。でもほとんどの人はその罪悪感や後悔を抱くに至ったストーリーこそがゆるぎない真実だと勘違いし、自分を責め続けて苦しむという事が起こります。

だけどそのストーリーこそ幻想なんです。真実はその罪悪感や後悔の感情を持っているという事だけです。そっちを手放すだけでいいんです。ストーリーは幻想です。真実ではありません。自分を責める必要はありません。😊

罪悪感や後悔へは感謝を向ければそれでいい

そこでまた疑問が湧いてくるのが「じゃぁ自分は何の反省もしなくてもいいのか、何をやっても許されるというのか」、というような倫理的な思いです。

罪悪感や後悔が湧いたなら、もうすでに十分すぎるほどこうすれば良かったなという大きな大きな気付きを得ているはずです。それだけでもう十分なんです。

罪悪感や後悔を経験し、そしてそこから気付きを得た。それだけでいいんです。

だからその罪悪感や後悔というその感情やその経験へは、「ありがとう」でいいんです。

そして亡くなった人もそこに至るまでの経験は全てその人自身のカルマや組み立てられたストーリーがあるんです。それを経験する必要があったからそうなっています。経験できなければまた輪廻転生してやり直すだけです。だから苦しい経験があったとしても、よく頑張ったねという祝福でいいんです。

起こったことは本当にそのままで何も変える必要も間違いも無いんです。