【死別も結局乗り越えられるようになっている】人生は乗り越えられる問題しか起こらない

乗り越えられる問題しか起こらない

私は夫ががんになった時、人生はうまく設計されているものだなと心底関心したのを覚えてます🙄

うまーくストーリーが出来ていたんです。なんとか乗り越えられるように・・・。

夫が亡くなる1年半ほど前に父が亡くなりました。父もがんでした。父の闘病生活があったおかげで精神的に強くなっていました。立て続けに家族が大病するという心労も確かにあったのですが、でもやっぱり父の闘病は私を強くしました。

がんがどういうものなのか、という事をよく分かっていたのでまた立ち向かおうという気持ちになれたんです。

父の闘病が無かったら、未知の恐ろしい病に恐れおののいて大変なことになっていたと思います。

人生の他の全ての出来事も、こんなふうに乗り越えられるようにできていたりするから不思議。あとで振り返った時に、これがあったから乗り越えられた、というようなことって沢山あるので。

自分で自分の人生を設計していて、本当にうまくできているからそれを信頼していいんです。その人のレベルに合わせた問題が起こるようになっていて、そして必ず何とかなるようになっているから。

このブログもまた、死別など苦しい体験をしている人が乗り越えられるきっかけになることを願っています。

苦しいことを乗り越えることは、やっぱり逃げずに正面から向き合って受け入れてしまうという事が楽になる手っ取り早い方法です。問題にOKを出すようなイメージでしょうか。

未知な出来事は実際に起こってみると乗り越えられてしまう

未知であったり、見ないように避けたりしていると恐怖が湧くだけです。まじまじと問題を直視して受け入れてしまうと、乗り越えられてしまうんです。

出産の痛みをイメージしてみると分かりやすいです。

出産の痛みに恐怖を抱いていたとしても、実際に出産の痛みの真っただ中にいる時はただ「痛い」しかないんです。そこに恐怖はもはやありません

恐怖というのは思考の中にしか存在していないからなんです。こうなったらいやだ、ああなったらいやだ、という想像によって恐怖が生まれます。

でもその恐怖の対象になる出来事がまさに起こったその時はもう恐怖はありません。

例えば、大切な人が末期がんだったとして、死んでしまうのが嫌だ、怖いと思ったとしても、実際に死んでしまったらその時は恐怖ではなくただ悲しみがあるだけです。既に亡くなってしまったことそのものへの恐怖はもはや感じるはずがないわけです。

わけもわからず恐怖におののいていた時の方が苦しかったりするわけです。

逃げたくなるような現実を怖がっていたとしても、その現実が実際に起こった時は、あるがままの痛みや悲しみをただ経験するのみです。そしてそれは必ず過ぎ去って行きます

宝くじが当たって嬉しい!と喜んだり、美味しい食べ物を食べて最高!と思ったとしても、その感情って永遠に続きますか?そんなことありえないんです。ネガティブな感情も全く同じです。

そうは言っても嬉しい感情はすぐに過ぎ去って行くのに辛い悲しい感情はなかなか過ぎ去らない事が多いのはなぜでしょうか?

嬉しい感情への抵抗はないからすぐに過ぎ去って行きますが、辛い悲しい感情へは抵抗があるのでなかなか過ぎ去って行かないからです。

感じるがままにしておくのなら、ただ過ぎ去って行きます。でもその出来事や感情への抵抗がある場合は流れようとしている辛い悲しみをせき止めてしまっている状態です。この抵抗が辛い悲しい感情を長引かせてしまっている原因です。

この抵抗は思考と連動しています。これはあるべきじゃない、こうなってほしかった、こうだったらよかったのに、という現実へ抵抗する思考から来ています。

思考の中で過去や未来を考えた時のみ恐怖や苦しみが湧きます。

思考をどう手放して行くかが苦しみを乗り越える最大のポイントになるわけです。

そして思考は事実ではないんです。これが分かっていると、苦しみに巻き込まれたとしても脱出しやすくなります。

悲しみの感情が湧いたときも、悲しみについて考えているといつまでも抜け出せなくなります。悲しみの感情が湧いたときは、不快な感覚を手放しのワーク(簡単なのに効果絶大)によって手放すか、または体を使った作業を行うことで思考から離れたり、または手の感覚、お尻の感覚など体の表面の感覚に100%意識を向けてみて下さい(これをマインドフルネスと言います。詳しくはこちら)。すると悲しみを感じる胸のモヤモヤが消えて行きます。